原田宗典 旅の短篇集 秋冬 目 次  秋の章  冬の章  水の章  音の章  文の章  奇の章  跋《ばつ》(エピローグ)  秋の章  巨石の群れ  昨年の秋、イギリスを旅行した時のことです。  ストーンヘンジからわずか二十五マイル離れた小さな村で、私は非常に不思議な石の遺跡を見つけました。  その遺跡の名は「エーヴァブリー」。初めて聞いた名前でしたが、見たところストーンヘンジよりもずっと大きく、ずっとミステリアスな雰囲気が漂っていました。私は建ち並ぶ巨石の群れに好奇心を覚え、その石に触れてみたいと思って近づきました。すると背後から、不意に一人の老人の叫び声が聞こえたのです。 「触ってはいかん。この前も石に触った旅行者が、石の下敷きになって大怪我《おおけが》をしたばかりだ」  その老人の話によると、遺跡の石をいじると、その下に眠っているドラゴンが長い眠りから目を覚ます、という言い伝えがあるのだそうです。  ガイドブックにも載っていないイギリスのミステリーゾーン「エーヴァブリー」。ストーンヘンジのようにロープのフェンスに囲まれてしまう前に、その場所を訪れてみてはいかがですか。ただし、石に触るのだけは禁物です……。  ロビンフッドの林檎  ロンドンから北上するところ二百六キロ。ロビンフッド伝説が今も生きるシャーウッドの森が広がっています。  私がこの地を訪れたのは九月半ば。少々風の冷たい日でした。ただし天気はよかったので、私はホテルの調理場に頼んで、ランチボックスをこしらえてもらい、それを持ってシャーウッドの森へ出掛けました。  別にこれといったあてもなく、ぶらぶら二時間ほど散策した後に、座り心地の良い切り株を見つけたので、ランチをとることにしました。ボックスを開けると、中にはサンドイッチと林檎がひとつ。ふと見ると、林檎には小さなメモがピンで留めてあります。 「この林檎を頭の上へ載せないこと。危険です」  メモにはそう書いてありました。何のことか分からなかったので、私は好奇心から、その林檎を頭の上へちょこんと載せてみました。すると間髪を入れずに、激しく風を切る音が響き、銀色の矢が飛んできて林檎の真ん中を射抜きました。私は唖然《あぜん》として、林檎とその銀色の矢を眺め、辺りを見回しました。けれど、誰の姿も見えません。  シャーウッドの森に今も生きるロビンフッド伝説。あなたも勇気があるなら、林檎をひとつ持って森へ出掛けてみてはいかがです?  屋上にある南極  今年の秋冬物の洋服を買いに、デパートを訪れた時のことです。買物に疲れた私は、どこか座る場所を探して、屋上に向かうエレベーターに乗り込みました。その四角く切り取られた空間の中には、私の他に誰の姿もありません。今にして思うと、妙に辺りが静まり返っていたような気がします。  しばらくしてエレベーター全体がガタンと振動し、扉がするすると開きました。  するとどうでしょう。目の前には午後のデパートの屋上の風景ではなく、真っ白な氷に閉ざされた風景が現れたのです。驚いて一歩足を踏み出し、辺りの様子を窺《うかが》うと、そこは南極のようでした。右手の大きな氷の山の陰から、皇帝ペンギンの群れが現れて、私の前をよちよち歩き過ぎていきます。あまりにも冷たすぎる風が肌を突き刺し、私は辟易《へきえき》して後ずさりました。エレベーターに乗り直し、一階のボタンを押すと、扉はまたするすると閉まりました。  一階へ下りてみると、そこは何の変哲もないデパートの風景です。私は納得がいかない表情を浮かべたまま、案内嬢に「ここの屋上には水族館があるのか?」と訊《き》いてみました。すると彼女は明るい声でこう答えました。 「三年ほど前まで、アザラシとペンギンのプールがありましたが、今は取り壊してなくなってしまいました」  天国の島  インドネシアの沖に浮かぶ小さな島に、七色に輝く不思議な海があるという話を聞いたことがありますか? 島の名前はメリ・ギノ。現地語で「天国の島」。ジャワ島のラワンからボートで北へ二十分。アトラスにも載っていない小さな島です。私がその島を訪れることになったのは、昨年の秋のことでした。  今にも壊れそうなカヌーが一隻。港と呼ぶにはあまりにも簡素な停船場に着くなり、私は七色の海へと向かいました。高床式の民家がぽつりぽつりと建つ小さな村を抜けると、白い砂浜が目の前に開けます。しかし、その海は噂《うわさ》と違って、七色に輝いてはいませんでした。地元の少年が一人、砂浜に座ってじっと沖あいを眺めているばかりです。何をしているのかと声をかけると、彼はこう答えました。 「海が七色に変わるのを待ってるんだ。願い事をするために」  潮が満ち、日がかげる頃、虹色《にじいろ》に輝き始めるインドネシアの神秘の海。不思議な七色に願い事をすると、その願いが必ず叶《かな》う。島の人々は今でもそう信じているのです。  揚子江《ようすこう》の水  大学時代に冒険部という変わったクラブの部長だったその友人は、この夏、会社に半年の休みを貰《もら》って、中国大陸へと旅立ちました。彼の旅の目的は、なかなか雄大なものです。 「揚子江の源流を見てくる」  彼はそう言って旅立ったのです。七月に日本を後にして、八月九月と一カ月おきに葉書が届きました。上海《シヤンハイ》から船に乗って、揚子江を西へ遡《さかのぼ》っていったらしいのですが、やはり気楽な旅ではなかったようです。途中船が破損したり、悪天候にみまわれたり……九月に受け取った葉書には、高山病にかかったと書いてありました。  そして十月。とうとう揚子江の源流に辿《たど》り着いたという葉書が届きました。彼の見たところによると、あの雄大な流れの源流は、地元の遊牧民が「大地から水のしみ出る穴」と呼ぶ、小さな穴だったそうです。葉書には、続けてこんなことも書いてありました。 「揚子江の源流の水をボトルに詰めて、別便にて君に送った。ぜひ味わってくれ」  私は彼の心遣いに微笑《ほほえ》みました。今夜は、揚子江六千七百キロの流れをグラスに注いで格別|美味《うま》い水割りを飲むことができそうです。  さまよえる湖  中国ウイグル自治区。テンシャン山脈とクンルン山脈にはさまれたタクラマカン砂漠のどこかに、その不思議な湖はあると言います。ロブ・ノール、またの名を�さまよえる湖�。かつてこの地に栄えた楼蘭の都とともに蒸発し、今ではタリム川の流れとともにその場所を移り変わらせるという伝説の湖です。  私がこの湖を探す旅に出たのは、去年の秋のことでした。  ラクダの背でゆられながら、あるのかないのか分からない湖を訪ね歩く。まったくもって気儘《きまま》な旅です。途中、チャルクリクという町で、とある農家に一夜の宿を借りることになりました。その家の主は、とても親切な話好きの男で、さっそく私の身の上話を聞きたがりました。「どこへ行くのか」と尋ねられて、ちょっと躊躇《ためら》った後に、 「ロブ・ノールを探しています」  と私が答えたところ、主はびっくりしてしばらく絶句し、こう答えました。 「それは残念なことをした。ロブ・ノールならつい先週まで、今あなたが立っているその場所にあったんだが」  私は驚いて足元を見下ろしました。けれどそこにはもう一滴の水もなく、乾いた大地が広がっているばかりです。  兎岩《うさぎいわ》ならあそこに  カリフォルニア州東部の砂漠にある、レイストラック・プラヤ湖。一滴の水も湛《たた》えず、俗に�死の谷�と呼ばれるこの不毛の湖には、大変不思議な岩があるのだそうです。噂《うわさ》によるとその岩は、満月の夜、ひとりでに動き始めるらしいのです。  私がこの湖を訪れたのは、昨年の秋。美しい満月の夜のことでした。行ってみると草木も生えない不毛地帯のあちこちに、無数の岩が散らばっています。どれがその不思議な岩なのか分からず、私は通りがかりの現地の人に尋ねてみました。 「満月の夜に動く岩があると聞いてきたのですが……」  これを聞くと、その人はさも当たり前のことのように、 「ああ、兎岩ならあそこだよ」  と答えて指さしました。見ると、なるほど人間ほどもある大きな岩が、嬉《うれ》しそうにぴょんぴょん跳ねていました。まるで兎のような形をした岩です。私は驚きのあまり言葉を失い、しばらくその岩が跳ねる様子を見つめていました。  死の谷の兎岩。一説によれば、月から落ちてきた隕石《いんせき》だと言われています。  ドラキュラの性質  昨年の秋、ルーマニアのトランシルバニア地方を旅した時のことです。現地にはホテルらしいホテルもなかったので、私は農家の離れを借りうけ、ここに寝泊まりしていました。  ある晩、月の光に誘われて私は近所へ散歩に出掛けました。人気《ひとけ》のない深夜の道を、当てもなくぶらぶら歩いている内に、私は一人の男と出会いました。彼はかがみこんで、何か落としものを探している様子でした。 「何か落としたんですか?」  私が話しかけると、その男はうるさそうに私を追い払い、 「放っておいてくれ、数が分からなくなる」  と答えました。ずいぶん無礼な口ぶりだったので、私は少々憤慨して元来た道を帰り、宿へ戻ってベッドに入りました。  翌日、その話を農家の主にすると、彼は目を丸くしてこう答えました。 「それはドラキュラですよ。この地方では道に種をばらまいて魔除けにするんです」  彼の話によると、ドラキュラは細かいものを見ると数えずにはいられない性質を持っているのだそうです。翌日から私が夜の散歩を控えるようになったのは言うまでもないことです。  何でも出てくる箱  もしあなたにお子さんがいらっしゃるなら、ブダペストの国会議事堂近くにある、小さなオモチャ屋を訪ねてみることをお勧めします。私が訪れたのは去年の秋だったのですが、この時は友人の子供に何か買って帰ってやるつもりでした。店の中へ入り、あれこれと物色している内に、奥の棚に置いてある木製のオモチャ箱が目につきました。表面にピエロと馬の彫刻が施してある、古ぼけた箱です。もっとよく眺めてみようと、手を出そうとした矢先、店番をしていたおばさんが、 「蓋《ふた》を開ける前に何が欲しいのか口に出して言わなくちゃだめだよ」  と声をかけてきました。急に言われたので私はしどろもどろになり、 「ブリキのヒコーキ」  と呟《つぶや》いてから蓋を開けました。すると中には私が頭で思い描いた通りのヒコーキが入っていました。おばさんはにやりとして、 「そいつは�サンタクロースの箱�という不思議な箱さ」  と自慢げに言いました。もちろん私はこれを手に入れようとしたのですが、その箱自体は決して売らないのだと突っぱねられました。子供の欲しいものなら何でも出てくる不思議な箱。少年時代にこんな箱があったら、と思うと何だか悔しくてなりません。  冬の章  ホワイトクリスマスの素  仕事で長いことチューリッヒに滞在している友人から、小包みが届きました。開けてみると中には、手紙とともに何やら香水|壜《びん》のようなものが入っていました。間近に眺めると、壜の中にはサラサラした白い砂らしきものが詰まっています。手紙には、こんなことが書いてありました。 「前略。チューリッヒで珍しいものを手に入れたので、送ることにする。これはホワイトクリスマスの素だ。愛する人とイブを送る時に、空へ向かってばら撒《ま》けば、五分もしない内に雪が降ってくる。ただし、その人が君を愛していない場合は、雨が降ってくる。今年のクリスマスは、ぜひこれを試してみたらどうだ?」  手紙を読み終えて、私はしばらくぼんやりしてしまいました。気を遣って送ってくれたのは嬉《うれ》しいのですが、ある意味でこれは残酷なリトマス試験紙でもあります。  さて今年のクリスマスイブ。私は勇気を出してこのホワイトクリスマスの素を試してみるつもりです。見事に雪が降ったなら拍手|喝采《かつさい》。もし雨が降ったなら、私のことはしばらくそっとしておいて下さい。  星たちの声 「星の声を聴きに行きませんか」  旅先で知り合った日本人の女性に、そんな不思議な誘いを受けたのは一昨年の十一月、オーストラリアへ行った時のことです。突然の申し出だったので私は面食らいましたが、無下《むげ》に断っては男がすたるというものです。早速彼女の車に同乗して、星の声が聞こえる場所へと向かいました。エアーズロックにほど近い、マウントオルガという不毛地帯まで走ると、彼女は車を停めました。  車のヘッドライトを消して、降りてみると、周囲は漆黒の闇《やみ》に包まれています。私は少し不安になり、空を見上げました。その瞬間、私は宇宙の中へ吸いこまれていくような錯覚を覚えました。こんな素晴らしい星空はかつて見たことがありません。手が届きそうなほど、星が間近に見えるのです。 「耳を澄ましてみて」  闇の中で彼女の声が響きました。言われた通りに息をひそめると、しばらくして、氷が触れ合うような、ひっそりと冷たく美しい物音が空から降ってきました。それが、星たちの声だったのです。私はじっと息を殺したまま、夜が明けるまでその声に耳を傾けていました……。  鉄橋の上にて  オーストラリアの北東部を走るケアンズ—クランダ鉄道。その年代物のディーゼル列車に乗って私が旅をしたのは、去年の暮れのことです。  このケアンズ—クランダ鉄道が敷かれた一八九〇年、ストーニークリーク峡谷を渡る鉄橋の上で、その工事を手がけた男たちが大宴会を催したというエピソードを、私は聞いていました。だから列車がその鉄橋にさしかかるのを、心待ちにしていたのです。と、向かいに座っていた男が、私にスコッチの入ったグラスを差し出して、こう言いました。 「俺《おれ》のじいさんは、この鉄橋を作った工夫だったんだ。今日はそのじいさんの命日だからよかったらあんたも一杯やってくれ」  私は喜んでグラスを受け取りました。その時、列車は峡谷を渡る鉄橋にさしかかりました。グラスを傾けながら窓の外へ目をやると、雄大な景色のもと、鉄橋の上で宴会を開いている男たちの姿が、一瞬目の前をかすめました。あわてて身を乗り出してみたのですが、あっという間にその脇《わき》を通り過ぎてしまい、確かめることは叶《かな》いませんでした。あれは幻だったのでしょうか。それとも遠い異国の地から来た私を、工夫たちが歓迎してくれたのでしょうか。私はもう一口、スコッチを嘗《な》めて、静かに目を閉じました……。  イブの歌声  十一月にドイツのボンに滞在した時のことです。ピクニック気分で郊外までドライブをしたところ、小さな教会のそばに店を広げている物売りの青年と出会いました。彼は折り畳み式のテーブルを広げ、その上に色とりどりの飴《あめ》を並べて売っていました。 「ひとつ買っていかないかい? 歌が上手になる飴だよ」  彼はそんなことを言って、賛美歌の一節を歌い始めました。あまり上手ではないので、周囲にできていた人垣《ひとがき》から失笑が漏れたのですが、彼は少しも怯《ひる》まず、いいか見てろよと身振りで示してから、テーブルの上の飴をひとつ口へ入れました。そしてこれみよがしに飴を嘗めてから、もう一度歌い始めました。  すると今度は、天使のような歌声が辺りに響いたのです。周囲からはさかんな拍手が彼に浴びせられ、飴はとぶように売れました。もちろん私も一粒買ってきたのですが、もったいなくてまだ試していません。  きたるべきクリスマス。イブの夜にこの飴を嘗めて、賛美歌を高らかに歌ってみようと計画しているのですが、果たして拍手はいただけるのでしょうか。  スキー上達料理  冬季オリンピックの開催地アルベールヴィル。この地を訪れるのにスキーをしないで帰ってくるテはありません。私のような初心者でも、やはり一度はゲレンデに出て、しばし雪と戯れるのが一番楽しい過ごし方です。  この地方のもうひとつのお勧めは、やはり何と言っても食事。中でもサヴォア地方特産のチーズ・フォンデュのおいしさには舌を巻きます。私の泊まったホテルの近くにあるフォンデュ専門のレストランでは、オーナー自ら腕をふるって�スペシャル・フォンデュ�をふるまってくれました。 「さあどうぞ。食べればたちどころにスキーが上手になる、不思議なフォンデュだよ」  オーナーはそんなことを言って、片目をつぶってみせました。私は半信半疑でそれを食べ、翌日さっそくゲレンデへ出てみました。ところがスキーの腕は少しも上達した様子はありません。相変わらずゲレンデに穴を空けてばかりです。そこでもう一度レストランへ行って、オーナーに「昨日のフォンデュは効き目がなかった」と皮肉たっぷりに言ってやりました。すると彼は肩をすくめ、 「君はあのフォンデュを半分も残したじゃないか。全部食べなきゃ効き目はないよ」  そう言って笑いました。  思い出の木の実  昨年の二月十四日、バレンタインデーのことです。友人たちと酒を酌《く》み交わした後、夜半に帰宅して、ベッドへもぐり込んだところ、どういうわけか目が冴《さ》えて眠れませんでした。薄闇《うすやみ》の中でぼんやりと天井を見つめている内に、昔のガールフレンドの顔がありありと目の前に浮かんできました。もう十年も会っていないのに、昨日別れたばかりのような鮮明さです。およそ三時間、私は彼女のことばかりを考えて、いつしか眠り込んでしまいました。  翌日、驚いたことにその彼女自身から電話がかかってきました。国際電話で、今フランスに滞在中だとのことです。彼女は開口一番こんなことを言いました。 「昨日、私のことを思い出したでしょう?」  その通りだと私が答えると、彼女は嬉《うれ》しそうに笑い声を漏らし、 「実は昨日、ルーブル美術館の近くの屋台で�思い出の木の実�というものを買ったの。これを齧《かじ》りながら懐かしい人のことを思い出すと、相手に伝わるって言われて、試してみたのよ。どう? 素敵なバレンタイン・プレゼントでしょう?」  確かに彼女の言う通り、素晴らしいプレゼントでした。バレンタインに思い出をプレゼントする——これ以上の贈り物はなかなか見つからないでしょう。  ケニヤの腹の虫  空腹になると、急に怒りっぽくなる人。あなたの周りにも何人かいるのではないでしょうか。アフリカのケニヤでは、これは腹の虫のせいだと信じられています。  先月ケニヤを訪れた時、私はこの腹の虫というものを実際に目にすることができました。ホテルの近くに店を構える露店で、地元の少年が�腹の虫�を売っていたのです。一見したところ、それは小さな胡麻粒《ごまつぶ》ほどの虫でした。少年が貸してくれたルーペで眺めると、形は黄金虫《こがねむし》に似ています。 「こいつをペロリと飲み込むと、あっという間に腹が減るんだよ」  少年はそんなことを言って、何匹か買うようしきりに私に勧めました。食べ過ぎの時に飲めば、胃薬の代わりにもなると言うのです。  あまり執拗《しつよう》に勧めるので、とうとう私は根負けして、五匹ほど買ってやることにしました。袋に入れ、ホテルへ帰ったのですが、どうしても飲んでみる気になれず、日本まで持ち帰ってしまいました。  一月経った今でも、腹の虫は袋の中でまだ生きています。明日、友人宅で鍋《なべ》を囲むパーティをする予定なのですが、胃薬代わりにこの腹の虫を持っていくべきかどうか、未《いま》だに悩んでいます。  さて、どうしたものでしょうか。  旅人の木の実  南海の孤島マダガスカルの小さな土産物屋《みやげものや》で、私は「旅人の木」という熱帯植物を買いました。大きな翼を広げたような形以外は、これといって何の変哲もない木でしたが、 「この木の実は酒のつまみに最高だよ」  という店の主人の一言が、妙に私の心をくすぐったのでした。  ホテルへ持ち帰り、さっそく旅人の木の実をつまみに一杯やろうと、バッグからお気に入りのウォッカを取り出しました。食べてみると、この木の実がなかなかイケるのです。ついつい酒の方も進んでしまって、やがて私はいい気分に酔い潰《つぶ》れてしまいました。  不思議なことが起きたのはその後です。目を覚まし、窓の外を見ると、マリンブルーが一変して一面の雪景色に変わっているではありませんか。マダガスカルに滞在していたはずの私が、いつのまにかレニングラードへ旅していたのです。どうやら旅人の木を売ってくれた土産物屋の主人は、 「この木の実を食べると、行きたい場所への旅が叶《かな》う」  という一言を添えるのを忘れていたようです。  四足の靴下  クリスマスのプレゼントを届けてくれる人は世界に四人いる、という話を御存知ですか。アメリカのサンタクロース、イギリスのファーザー・クリスマス、ベルギー、オランダの聖ニコラウス、スウェーデンの妖精《ようせい》トムテ。この四人です。  この話を知ったのは去年のクリスマスのことでした。その日、私の家では大変不思議な事件が起こりました。  真夜中、私がベッドに横になって本を読んでいたところ、クリスマスツリーの飾ってある下の部屋から何やら話し声が聞こえてきたのです。不審に思って下りていってみると、サンタクロース、ファーザー・クリスマス、聖ニコラウス、妖精トムテの四人が、一足しか用意されていない靴下を前にして、誰がプレゼントを入れるかでもめているところでした。私はあわてて靴下をあと三足差し出しました。すると四人は声をそろえて、 「来年からは、きちんと四足靴下をぶら下げておきなさいよ」  そう言い残して、窓から出ていきました。そんなわけで、今年から私は枕元《まくらもと》に四足の靴下をぶら下げているのです。  心の濁り  あれは五年ほど前の十二月のことです。  仕事でバンコクに滞在している女友達から、ちょっと変わったクリスマスプレゼントが届きました。一緒に添えられていた手紙には、こんなことが書かれていました。 「アンダマン海に浮かぶバンジー島へ行った時に、面白いものを手に入れました。壜《びん》の中に濁った水が入っているでしょう? この壜を手に持ってみて下さい。もしあなたの心がきれいだったら、濁りが取れて、透明な水に変わるのだそうです。ぜひ試してみて下さい」  手紙を読み終えると、私は早速その壜を手に持ってみました。なるほど壜の中には濁った水が入っています。しばらくそうやって壜を手にして眺めていたのですが、濁りが取れる様子はありません。私は、ちょっとがっかりしてしまいました。  あれから五年。  私はクリスマスが来るたびにこの不思議な壜詰めの水を手に持ってみるのですが、年をおうごとに少しずつ濁りが取れてくるような気がします。  さて今年のクリスマス、果たして濁り水は無色透明に変わってくれるでしょうか。  おかわりを注文したのは  去年の冬、上海で本格的な中国料理店に入った時のことです。  一品ずつ注文するのが面倒だった私は、メニューの一番最初にあったお勧めのコース料理を注文しました。白服のボーイがほどなく前菜の盛り合わせを持って現れ、私のテーブルに置きました。さっそく口にしてみたところ、それが実に美味《おい》しいのです。当然私は皿を嘗《な》めるようにしてきれいに平らげ、次の料理が出てくるのをわくわくしながら待っていました。  しかし不思議なことに、ボーイはまた同じ前菜の皿を運んできました。何かの間違いかとも思いましたが、何しろ美味しかったので私はこれもきれいに平らげました。ところが白服のボーイは、次もまた同じ前菜の皿を運んできたのです。さすがの私もちょっとウンザリして、 「次の料理はいつ出てくるんだ?」  と声をあらげたところ、ボーイはきょとんとした顔でこう答えました。 「おかわりを注文したのはあなたですよ」  彼の説明によると、本格的な中国料理店では、出された料理は全部平らげずに少し残すのがマナーとされているのだそうです。残さず食べるということは、つまりおかわりを要求する意味があるのだと、私は初めて知った次第です……。  十三月になれば  その日、リオデジャネイロは記録的な暑さに包まれ、夜になっても一向に気温が下がる気配はありませんでした。私は、ガイドに先導されてごみごみした下町の裏通りを歩き、リオで一番の魔術師というふれこみの男に会いに行きました。  その魔術師の家は、汚いアパートの一室だったのですが、不思議とその部屋だけひんやりと涼しい風が吹いていました。魔術師はその部屋の中央に据えたソファにふかぶかと腰かけて、私を迎え入れました。眼光の鋭い、五十がらみの男です。  彼は、私が口にする様々な質問に答えてくれた後、いいものをお土産にあげようと言いました。そしてテーブルの下から、何の変哲もないカレンダーを取り出したのです。何の意味があるのだろうと思って、そのカレンダーをめくってみたところ、驚いたことに、最後のページには十三月の日付が印刷されていたのです。私は少々おびえながら、十三月になると、どうなるのですか、と質問しました。すると彼はにやにや笑いながら、 「それは十二月が終わってみれば分かる」  と答えました。結局私はそのカレンダーを貰《もら》って帰りましたが、何となく恐ろしかったので、ホテルの部屋へ置いてきてしまいました。幻の十三月。もしあのカレンダーを部屋にかけていたら、どんなことが起こっていたのでしょうか……。  海の妖精《ようせい》の箱  アラスカを旅行した友人が私のために買ってきてくれたのは、イヌイットの箱と呼ばれる、木製の小さな箱でした。 「中に、海の妖精が入っているらしいよ」  友人は皮肉っぽい笑いを口元に浮かべて、そう言いました。 「じゃあ、その妖精と会ってみることにしよう」  私はそう答えて、さっそく箱を開けにかかりました。ところがこの箱、どんなふうにしても開かないのです。蓋《ふた》だと思っていた部分はきっちり固定され、引き出しがついているわけでも、底が開く仕掛けになっているわけでもありません。 「妖精にはなかなか会えないんだよ」  友人はそう言い残して帰ってしまいました。私はその後も躍起になって箱を開けてみようと試みましたが、やはりどうやっても開きません。あきらめて箱を放り出し、ベッドに横になると、箱の中から何やら小さな囁《ささや》き声が聞こえてきました。ちょうど妖精たちがお喋《しやべ》りをしているような、そんな物音です。  妖精の入ったイヌイットの箱。どなたかこの厄介な箱の開け方を御存知の方は教えてくれませんか。  インディアンの伝説  シアトルに住む友人から、近くの湖で釣ったという立派な鱒《ます》が送られてきたのは、昨日のことです。たぶん御歳暮の荒巻鮭の代わりのつもりなのでしょう。一緒に入っていた手紙によると、その鱒にはこんないわれがあるそうです。 「この湖で釣れた鱒を食べると、鳥になってしまうというインディアンの伝説があります。来年、君が鳥のように羽ばたくことを期待して、これを贈ります」  私は友人の心遣いに感謝して、さっそくこの鱒を料理し、一人で平らげてしまいました。新鮮で、とても美味《うま》い鱒でしたが、驚いたのはその夜のことです。  寝床に入ってうとうとしかけた時、不意に体じゅうがむずむずして、私はベッドの上に起き上がりました。どうしたのだろうと訝《いぶか》りながら、ふと腕を見ると、翼が生えていたのです。夢だろうかと思った瞬間、私の体は空中へ舞い上がりました。部屋の硝子窓《ガラスまど》を突き破って表へ飛び出し、そのまま空高く、私は羽ばたきました。  人間の姿に戻れたのは、ついさっきのことです。インディアンの伝説通りの、不思議な鱒。一度に食べてしまったのが、実に残念でなりません。  胸を熱くする芸  休日ということもあってか、その日のサンフランシスコの港には、大勢の大道芸人たちが集まっていました。空気は頬《ほお》を切るほどに冷たいのですが、パントマイムを演じる若者の真っ白な服や、楽器を演奏する青年たちの色とりどりの衣装だけは、冬の青空に映えて目に眩《まぶ》しいほどでした。  ところがそんな中にあって、一人だけ、黒いマントをまとってじっとしている少年の姿がありました。傍らに立てかけてある看板には「マジックショー。あなたの欲しいものを出してみせます」と書いてあるのですが、一向に手品を始める様子はありません。私はかじかんだ手に息を吹きかけて暖めながら、何が始まるのかと、彼の近くへ行って待っていました。  すると、私と目を合わせた少年は、 「あなたの欲しいものを出してみせようか」  そう言ってマントの中に手を差し入れました。出てきたのは、熱いコーヒーの入った紙コップ。この寒さの中では確かに誰もが欲しいと思っているものに違いありません。私はすっかり感服してしまい、彼の帽子へ入れる紙幣を奮発しました。すると少年はにっこり笑ってこう言いました。 「なかなか胸を熱くする芸だろう?」  一杯くった話  あれは四年ほど前の二月のことです。仕事で三カ月ほどニューヨークに滞在している間に、仲のいいガールフレンドができました。二月十四日の夜、一緒に食事をしていると、彼女はちょっと照れ臭そうにはにかみながらバレンタインのプレゼントを私にくれました。開けてみると、中にはチョコレートと一緒にウイスキーのショットグラスが入っていました。 「いくら呑《の》んでもウイスキーが減らないグラスよ。ソーホーで見つけたの」  彼女はそんなことを言いました。試しにウイスキーを注いでぐっと飲み干してみると、なるほど彼女の言う通り、飲んだそばからグラスの中にウイスキーが湧《わ》き出てくるのです。飲んでも飲んでも、ちっとも中身がなくなりません。面白かったので、私は調子に乗ってぐいぐいウイスキーを煽《あお》ってしまいました。十五杯めくらいまでは記憶が残っているのですが、その後は酩酊《めいてい》して、自分を失ってしまったようです。気付いた時には、彼女の部屋のベッドに裸で横たわっていたのです。  どうやら彼女は、最初からそのつもりで、こんなショットグラスを私にプレゼントしてくれたようです。一杯くったな、と思いましたが、こんな一杯なら何杯でもくってみたいと、私はベッドの中で微笑《ほほえ》んでしまいました。  君の古い友人  昨年のクリスマスイブ。私はスウェーデンのストックホルムに滞在していました。友人も恋人もいない、孤独なイブです。夕食を済ませてホテルの部屋に閉じ籠《こ》もっていたところ、いつしか表は雪になりました。その気配を背中に感じながら、私はライティングデスクに向かって手紙を書いていました。  そこへ扉がノックされました。  手紙を中断して扉を開けると、ホテルのボーイが立っています。彼はにっこり笑って、持っていた箱を差し出しました。赤い包みに緑のリボンがかかったプレゼントボックスです。私が不思議そうな顔をしていると、彼はこう言いました。 「お友達がこれをフロントに預けていきました」  ストックホルムに友人はいないはずだと答えると、今度は彼の方が不思議そうな顔をしました。 「太った老人ですよ。白い髭《ひげ》を生やして、赤いコートを着てましたが……」  そう言い残して、ボーイは引き下がりました。箱を開けてみると、中には聖書が一冊入っていて、一緒に添えてあったカードには、こんな台詞《せりふ》が書いてありました。 「君は孤独ではない。君の古い友人、サンタクロースより」  街のタイムスリップ  目が覚めたのは、まだ六時前でした。ベッドの中から窓外の様子を窺《うかが》うと、空が薄く白み始めているのが分かりました。静けさが、いつもと違う気がして、カーテンを開けてみると、外は一面の雪でした。どんよりと低くたれこめた空から、粉雪がはらはらと降り続けています。  私はさっそく顔を洗い、身支度をととのえて表へ出てみました。白い息を吐きながら、背中を丸めてしばらく歩いていると、住みなれたはずの街が、まるで見知らぬ土地のように思えてきました。そういえば、あれはいつだったか。今日と同じように六時前に目覚めて、雪の街を散歩したことがありました。あれは確か、ノルウェーに滞在した時のことです。  その時のことを思い出しながら、真っ白に化粧した街中を歩いていくと、いつの間にか辺りの風景がノルウェーの街に変わっていきました。背の高いビルの群れが雪の中に溶けていき、代わって北欧の尖《とが》った屋根の建物が目立ち始めます。道行く人もみんな、がっしりした体格のノルウェーの人の姿に変わっていきます。  雪の日の朝。こんなふうにして街がタイムスリップを起こすことを、あなたは御存知でしょうか……?  コペンハーゲンからの手紙  昨年の暮れ、デンマークのコペンハーゲンに滞在した時のことです。私は、女友達に送るバースデーカードを手に、市内の郵便局を訪れていました。ついうっかりして出しそびれていたもので、彼女のバースデーは翌日に迫っていました。今から出したのでは、到底間に合いそうにありません。できればバースデーの当日に届けたかったので、郵便局のカウンターで渋い顔をして迷っていると、背後に並んでいた老人が声をかけてきました。 「急ぎの手紙なのかね?」  そう尋ねられたので、私は正直に事情を説明しました。すると老人は、そういうことなら力になってやろうと呟《つぶや》いて、懐から何やら小さな袋を取り出しました。中には、見たこともない変わった形の切手が入っていました。老人は慎重な手つきで切手を一枚|摘《つま》み上げ、 「貴重な切手だから、一枚だけだよ」  と言いながら、私のバースデーカードにその切手を貼《は》りました。するとたちどころにバースデーカードは消えてしまったのです。 「今頃、もう彼女のもとへ届いているよ」  老人は私の肩を叩《たた》いてそう言いました。後日、その女友達に電話をかけて訊《き》いてみたところ、本当に手紙はその日の内に届いていたのだそうです。あの老人に頼み込んで、もう二、三枚、切手を貰《もら》っておけばよかったと悔やまれてなりません。  赤い箱の中身  バレンタインにチョコレートを贈る。今ではごく当たり前の習慣になりましたが、私が生まれて初めてその恩恵に浴したのは、まだ学生時代に、ヨーロッパを一人旅している途中のことでした。  ブリュッセルの安ホテルの一室に、私は滞在していました。ライティングデスクに向かって日本の友人に手紙を書いているところへ、ホテルを切り盛りしている太ったおかみさんが現れ、可愛《かわい》らしくラッピングされた小箱を二つ差し出しました。 「バレンタインデーだからね。チョコレートをあげるよ」  おかみさんはそう言いました。恐縮して受け取ると、彼女はにこにこ笑いながら、 「白い箱は普通のチョコレートだから、すぐにお上がりなさい。赤い箱は、今開けちゃだめだよ。これは日本へ持ち帰って、ブリュッセルのことを思い出したくなったら、開けるようにしなさい」  私は彼女の言う通りにしました。あれからもう何年が経ったでしょう。赤い箱の方は、未《いま》だにリボンがかかったままです。開けると一体どんなことが起きるのか——バレンタインデーがくるたびに、開けてみようかと思うのですが、もったいなくてなかなか実行に移せないのです。  中には、何が入っているのでしょう?  アロハシャツ一枚  飛行機の中で隣り合わせたその男は、ちょっと変わり者でした。冬のベルギーを訪れる便だというのに、アロハシャツ一枚の出《い》で立ちだったのです。見たところアメリカ人のようで、髭《ひげ》を生やした大男ではありましたが、いくら何でもアロハシャツ一枚というのは無謀です。 「寒くないんですか?」  私は尋ねました。すると彼はにやりと笑い、 「このアロハは特別なんだよ」  と答えました。私が不思議そうな顔をしていると、彼は鞄《かばん》の中から同じパイナップルの柄のアロハを取り出し、 「羽織ってごらんよ」  と言って私に手渡しました。言われるままに羽織ってみると、たちまち私の体はぽかぽかと温まってきました。まるで南国の太陽の光を全身に浴びているかのような暖かさなのです。 「俺《おれ》はどこへ行くにもこれ一枚なんだ」  彼はそう言って豪快に笑いました。一枚譲ってくれと私が頼み込んだのは言うまでもないことです。彼は快く承知し、ずいぶん安い値段でそのアロハを譲ってくれました。  この冬、ベルギーでアロハシャツ一枚の男がいるのを見掛けたら、それは私だと思って下さい。  魚たちの恋歌  フィリピンのセブ島に滞在した時のことです。ホテルの小さなギフトショップで、私は変わったオルゴールを手に入れました。蓋《ふた》のところにきれいな魚の絵が描かれていて、開けてみると、今までに聞いたこともないような音色を奏でます。ありきたりな民芸品の並ぶ店内で、その蓋をそっと開けて、しばらく美しい音色に耳を傾けていると、店番をしていた女性が声をかけてきました。 「魚たちの恋の歌だよ」  彼女はそう言って微笑《ほほえ》みました。私は彼女の笑顔と、そのおとぎ話のような受け応《こた》えが気に入って、このオルゴールを買い求めることにしました。  ギフトショップを後にした私は、オルゴールの入った小箱を手に、浜辺へと出掛けました。砂浜のデッキチェアに腰を下ろし、蓋を開けてオルゴールの音色を楽しんでいると、不意に海の中からもうひとつ、同じ美しい音色が聞こえてきました。顔を上げて海原を見やると、オルゴールの蓋に描かれたのと同じ種類の魚が、沖あいで高く跳ね上がるのが見えました。  恋する魚たちの歌声が響くオルゴール。今度のバレンタインは、チョコレートではなく、こういうロマンチックで不思議なプレゼントを選んでみてはいかがでしょう……。  見えない石  神々の島、バリ。この島では、訪れるたびに何かしら不思議なことが起きるのですが、今年の初め、レギャンストリートで出会った少年が手にしていたものほど珍しいものは見たことがありません。日に焼けた、人なつっこい笑顔のその少年は、空の籠《かご》を手にして私に近づいてくるなり、こう言ったのです。 「見えない石だよ。ひとつ買っておくれ」  少年は私に向かって右手を差し出していました。しかしその手には何も握られていません。彼の言い分によると、人間の目には見えない石を売っているらしいのです。 「ほら、持ってごらんよ」  少年はそう言って、見えない石を私の掌《てのひら》に載せました。何の感触も、重さも感じられません。私は首をかしげ、 「ひとつ幾らするんだい?」  と尋ねたところ、少年は日本円で千円くらいの値段を口にしました。私は思いついて、こんなふうに答えました。 「よし。じゃあ見えないお金で払うから、手を出しなさい」  言いながら私は見えないお金を勘定し、少年の掌へ載せる振りをしたのです。すると少年は不服そうに頬《ほお》を膨らませ、どこかへ行ってしまいました。見えないお金で買った、見えない石。果たしてその石は、本当に私の掌に載っていたのでしょうか……。  サン・タンジェロ城の秘密  ローマにあるサン・タンジェロという城では、訪れた旅人が突然姿を消してしまう、という奇怪な事件が後を断たないといいます。噂《うわさ》によるとこの城には、旅人たちを過去へといざなう不思議な抜け道があるのだそうです。 「この扉が過去への入口なんだよ」  サン・タンジェロの地下室にある重い扉の前で、長い間城のガイド役を務めているという老人に出会ったのは、去年の冬のことでした。 「ここに立っていると、扉の向こうから年老いた男の声が聞こえてくると言われておる。つられて中へ入ると、大理石の神殿が建ち並ぶ古代ローマの風景が広がっていて、その男が親切にあちこちを案内してくれるそうだ。そして最後に『時間がきたのでこれでお別れしなければならない』と言われるやいなや、辺りが真っ暗になり、気がつくと元の扉の前へ戻っている——そんなことが起きるらしいんだよ」  私はぼんやりと扉を見つめながら、老人の話を聞いていました。話が途切れたので、ふと振り向くと、驚いたことに老人はいつのまにか古代ローマの衣装を纏《まと》っていました。そして私にこう言ったのです。 「時間がきたのでこれでお別れしなければならない」  水の章  モンゴルの不思議な水  モンゴルには万病に効くと言われる不思議な水を湛えた泉がある、という話を聞いたことがあります。何でもその昔、チンギスハンが闘いで傷ついた体を、その泉の水を飲むことによって治したことから「命の泉」と呼ばれているのだそうです。  先日モンゴルを訪れた私は、偶然にもその伝説の泉を見つけることができました。  中国との国境に近い小さな山間の村に、その泉はありました。村人たちの話によれば、アルタイ山脈の雪解け水が地下水となって流れ出し、この村に湧《わ》いているのだそうです。真っ青な空をまるで鏡のように映し出す無色透明の美しい水面。私はその水を手ですくい口へと運びました。すると不思議なことに、急に気分が軽くなりました。その時の私は、体はまったくの無傷だったのですが、ちょっと手痛い失恋をしたばかりで、心に傷を負っていたのです。水を飲んだとたんに、その物悲しい気分がすっと消え、心の底から元気が湧き出してきたのです。  体だけでなく、心の傷にも効き目のある「命の水」。壜詰めにして日本に持ち帰ってきたので、失恋中のあなたに少しだけ分けてあげてもいいのですが……。  人魚を撮る  私が人魚の姿を見たのは、エジプトの首都カイロから六百キロ、紅海のほとりにあるシャルム・エル・シェイクのダイビングポイントでした。世界でも有数の透明度を誇るこの海へ潜ったのは、もともとナポレオンフィッシュの写真を撮るためでした。  鮮やかな色彩のサンゴ礁《しよう》、手招きをする海藻の群れ、そして極彩色の小魚たち。まるで異次元のような海の中で、私はカメラを片手にナポレオンフィッシュが現れるのを待っていました。  その時、北の方角から大きな影がゆったりとこちらへ近づいてきたのです。シャッターを押そうとしてファインダーを覗《のぞ》いた瞬間、私は息を呑《の》みました。  その魚は、人間の形をしていたのです。上半身は女性、そして下半身は魚。アンデルセンの童話そっくりの人魚が、ゆっくりと尾鰭《おひれ》を動かしながら、私の前を横切り、あっというまに南の方角へ泳ぎ去ってしまいました。  私は二回だけシャッターを切ったのですが、そのフィルムは未《いま》だに現像していません。  何が写っているのか見るのが怖いような気もしますし、もしあれが夢ならば、ずっと夢のまま大切に心の中だけにしまっておきたいような気もするのです……。  金髪への想い  栄華をきわめ、美を競いあった古代ローマの淑女たち。非のうちどころのない美貌《びぼう》を誇っていた彼女たちが、実は自分の容姿の中でたったひとつ気に入らない部分があったということを御存知ですか? それはラテン特有の黒い髪です。彼女たちは髪を金色に染めるために、ありったけの財を注ぎ込みました。豊かな者ほど贅《ぜい》をこらし、髪を金箔《きんぱく》で固める貴婦人もいらっしゃったとか……。  ローマの市内には、そんな貴婦人たちの願いを叶《かな》えてくれる大浴場がひとつ、今も残っています。美の女神ビーナスが守護神として祀《まつ》られている大浴場で、ここのお湯で髪を洗うと黒い髪が美しい金髪に変わったという伝説があるのです。  ローマを訪れた折に、私はこの大浴場のお湯を壜に詰めたものを、冗談半分で買い求めてきました。話のタネに、と思って、ホテルのバスルームで何の気なくこのお湯を使って髪を洗ってみたのです。すると驚いたことに本当に髪の毛が金髪になってしまいました。鏡の前に立って、私は少々|茫然《ぼうぜん》としてしまいました。その時、誰もいないはずのホテルの部屋のどこかから、くすくす笑う女性の声が聞こえたような気がしました。  もしかしたらあれは、悪戯《いたずら》好きのビーナスの笑い声だったのかもしれません……。  海が真水になる日  友人に誘われて、パラオ諸島の沖あいでダイビングを楽しんだ時のことです。  私たちを案内してくれたインストラクターは、屈強な体つきをしていましたが、実はかなり年寄りのようでした。三十分ほど海底散歩を楽しんでからボートへ上がり、冷たい飲物で喉《のど》を潤していると、彼は問わず語りにこの地方の昔話をあれこれと披露してくれました。どの話もなかなか面白かったので、感心して聞いていると、最後に彼はこんなことを言いました。 「海の水がどうしてしょっぱいのか、知ってるかね?」  私たちが苦笑して肩をすくめて見せると、彼は、それは魚たちの涙のせいだ、と答えました。魚たちはみんな泣き虫で、始終泣いてばかりいるのだそうです。 「しかし十年に一度だけ、魚たちが一斉に泣くのを止めて神に祈りを捧《ささ》げる日がある。実は今日がその日なのさ」  彼はそう言って、海の中へ指をつけ、嘗《な》めてみせました。私たちも半信半疑でそれを真似てみると、不思議なことに海の水がしょっぱくないのです。  十年に一度、海が真水に変わる日。あなたはその日、海の水を嘗めてみたことがありますか?  海鳴りが聞こえる  最近、私のベッドルームではちょっとした異変が起きています。夜になって寝床へつくと、どこからともなく海鳴りが聞こえてくるのです。もちろん近くに海があるわけではありません。  最初は、単なる空耳かと思っていたのですが、三日ほどそんな夜が続いた末に、私は意を決して海鳴りの正体をつきとめることにしました。  ベッドから起き上がり、部屋のあちこちへ耳を澄ます……。  どうやらその音は、壁際の本棚の中から聞こえてくることが分かりました。  旅先で撮った写真をファイルしてあるアルバム。その中から、海鳴りは響いてきます。  背表紙に『オーストラリア』と書いてあるアルバムを手に取り、グレートバリアリーフの写真を貼《は》りつけてあるページを開いたとたん、ひときわ大きな海鳴りが響いて、アルバムの中から波しぶきが飛び出してきました。私はあわててページを閉じたのですが、間に合わず、頭から波をかぶってしまいました。  そんなわけで今、私は濡《ぬ》れたパジャマを洗濯して、ベランダに干しているところなのです。  長生きの水  ハンガリーのブダペスト市内に滞在した時のことです。日本では意外に知られていませんが、ブダペストには何カ所もの温泉があり、市民の憩いの場所となっています。そんな温泉のひとつを訪れた折に、私は偶然一緒になった老人と仲良しになって、大変貴重なものを分けてもらいました。 「これは長生きの水だ」  老人はそんなことを言って、ロッカーから持ってきた壜を差し出しました。ちょうどビール壜くらいの大きさで、中には半分ほど水が入っています。 「一口呑めば、十年長生きできるんだ」  言いながら老人は、別の小さな壜にほんの少し、水を分けてくれたのです。半信半疑だったのですが、老人は自信たっぷりでこう言いました。 「わしの年齢は幾つだと思うね? 今年で百二十歳になるんだよ」  この一言で私はすっかり老人の言うことを信用してしまいました。ところがこの長生きの水を貰《もら》ってホテルまで帰る道すがら、坂道で足を取られて転んでしまったのです。我ながら迂闊《うかつ》でした。おかげで壜が割れ、大切な長生きの水は土の中に吸い込まれてしまいました。一瞬の不注意で寿命が何十年も縮まったのかと思うと、悔やんでも悔やみきれません……。  サンタフェの壺《つぼ》  ニューメキシコ州のサンタフェに滞在している友人から、大きめの小包みが届きました。開けてみると中に入っていたのは、どっしりした壺です。表面にはいかにもサンタフェ風のカラフルな彩色がしてあります。手紙がついていたので、それを読んでみると、こんなことが書いてありました。 「君のために特別作ってもらったメキシコの魔術師の壺だ。真夜中になったら水を張って中を覗《のぞ》いてごらん」  何が起きるのかは書いてなかったのですが、私は真夜中を待って、友人の手紙に書いてあった通り、壺に水を張り、そっと中を覗き込んでみました。  と、たちまち私の体は壺の中へ吸い込まれてしまいました。あっと思った次の瞬間には、私は激しい水音を立てて、水中へ墜落していました。必死で泳いで浮かび上がると、壺の内側にはサンタフェの美しい景色が描かれています。その鮮やかな色彩は、不安を消しさるほどの美しさでした。  私はしばらくその景色を眺めながら、壺の中を泳いで何周もしました。そしてその内に、ふっと気が遠くなってしまいました。  口笛を吹く魚  中国の四川《しせん》省を訪れた時のことです。友人の紹介で川劇《せんげき》の俳優の家を訪れたところ、彼の部屋に飼われている不思議な魚の話題になりました。一見すると普通の金魚のようなのですが、これは口笛魚という魚で、夜になると水中で口笛を吹くのだと言うのです。  どうにも信じがたい話だったので、私は夜になるのを待って、その俳優の家をもう一度訪れました。そして口笛魚の水槽に耳を浸《つ》けてみたところ、なるほど小さな口笛の音が聞こえてきます。曲は古い中国の民謡のようでした。彼の話によると、教えればどんな曲でも口笛で奏でるのだそうです。  私は彼に頼み込んで、この不思議な魚を一尾譲ってもらうことにしました。小さな水槽により分けてもらって、大事に抱えて日本まで持って帰ってきたのですが、大事なことを聞くのを忘れてしまいました。  この魚に、どうやって曲を教えてやればいいのか?  水の中に口を浸けて口笛を吹こうとしても、上手く鳴りません。といって、水槽の外で口笛を吹いたのでは、中にいる魚に聞こえない様子です。まったく私としたことがうっかりしていたものです。  どなたか私の口笛魚に口笛を教えて下さる方はいらっしゃいませんか?  子宝の湖  タイの沖、アンダマン海に浮かぶ小島には不思議な伝説の湖があります。その湖の水を飲むと、必ず子宝に恵まれる——そんな伝説です。  三年ほど前、私は仲のいい友人夫妻とともにタイを旅行しました。その際に三人でアンダマン海に浮かぶ島々を巡るクルージングに出掛けたのですが、偶然立ち寄った小さな島が、他でもない子宝の湖のある島だったのです。潮風に吹かれて喉《のど》がからからに渇いていた私たちは、湖のほとりにたたずんでいる老婆に、 「この辺りに飲み水はありませんか?」  と尋ねました。すると老婆は、 「あんたたち、子供はいるかい?」  と友人夫妻に向かって、何とも的外れな質問を返してきました。友人がいいえと答えると、老婆は嬉《うれ》しそうに微笑《ほほえ》んで、 「それならこの湖の水をお飲みなさい」  と勧め、湖にまつわる不思議な伝説を話してきかせてくれたのでした。  旅行から帰るとすぐに、友人の奥さんは男の子を身籠《みご》もりました。その子供も、はや三歳。友人は、今年あたりまたタイの湖に出掛けようかと計画しているようです。  川の源流  川を眺めていると、その源流はどこなのか知りたくなりませんか? 上流に向かってどんどん歩いていくと、どんなところへ行きつくのか。人を拒むほど大きな流れの川が、大元を訪ねてみると、実は小さな湧《わ》き水だったりします。  例えば東京で言うと、神田川の源流が実は吉祥寺《きちじようじ》の井《い》の頭《かしら》公園の池であったりするのです。  チベットの外れ、名もない小さな村を訪ねた時に、村の中央を流れる小川の源流を求めて、歩いたことがあります。この小川はとてもきれいな、冷たい水を湛《たた》えていて、村人たちの大切な飲料水をまかなっていました。  野を越え、山を分け入り、およそ半日がかりで源流を辿《たど》ってみたところ、見上げるような崖《がけ》に突き当たりました。ぶ厚い一枚の岩盤で、高さ八十メートル、幅は百メートルもあるでしょうか。触ってみるとこの岩は、びっしょりと濡《ぬ》れていました。川の源流は湧き水ではなく、この岩だったのです。  私は驚いて、同行してくれたガイドにこの川の名前を尋ねました。彼はにやりと笑い、川の名前は土地の言葉で�岩の汗�というのだ、と教えてくれました……。  虹《にじ》の根本に  私がまだ学生だった頃、一人でアフリカ大陸を旅したことがあります。その時、ボツワナ南部に広がるカラハリ砂漠で、大変不思議な遊牧民に出会いました。  その時私は、ウェルダという村を目指して車を駆《か》っていました。すると、ずっと遠くの地平線に現地人らしき人影が数人。どうやらこの砂漠を徒歩で旅する遊牧民のようです。  私は彼らのことが何となく気の毒に感じられて、近づいていき、声をかけました。 「よかったら乗っていかないか? どこまで行くんだ?」  するとその中の一人がこう答えました。 「虹のかかる土地だよ。虹の根本を掘りおこすと宝物が沢山出てくるからね」  この砂漠のどこかにある、宝の山。  大地に雨がしみこむと、埋められた宝物が七色の光を放って虹を作るのだと、この不毛の土地に暮らす彼らは今でもそう信じています。  彼らにとっては「雨降って地固まる」ではなく、「雨降って宝いずる」ということなのです。  鏡が泣いてます  未来を予知する魔法の鏡。明日のことが分かる不思議な鏡……。  おとぎ話を読みながら、こんな鏡があったらどんなにかいいだろうと、あれこれ思い巡らせた夢の数々……。そんな子供心に見た夢が、先日旅したヴェネチアで正夢《まさゆめ》となりました。  サン・マルコ広場の近くにあるホテルでの出来事です。  フロントでチェックインを済ませた私は、ロビーにあるソファでベルボーイが来るのを待っていました。七色に輝くシャンデリア、ダマスク織りの布が飾られた壁面……。明るく豪華な雰囲気の中、気持よく煙草をくゆらせていると、ふと階段|脇《わき》の壁にかけられたヴェネチアスタイルの古い鏡に映る自分の姿が目に止まりました。  ところが目を凝らすと、不思議なことに鏡の中の私は実に哀《かな》しそうな顔をしています。笑顔を浮かべているはずなのに、映っている私は涙を浮かべているのです。食い入るように鏡を見つめる私の背後から、近づいてきたベルボーイがこんなことを言いました。 「どうやら鏡が泣いているようですね。お客様、生憎《あいにく》ですがヴェネチアは明日、雨になりますよ……」  ドゴン族の梯子《はしご》  パリのセーヌ左岸に位置する骨董街《こつとうがい》。美術学校の周辺に集中するアフリカ物の古美術商で、私は不思議なものを見つけました。  一見するとそれは樫《かし》の木で作られた老人用の杖《つえ》のようです。しかしそれにしては丈があまりにも長すぎます。私はその長い棒を手に取って、老店主に尋ねました。 「これは何に使うものなのです?」  すると主はこう答えました。 「それはアフリカのドゴン族の梯子じゃよ。しかし悪いが売り物ではないんだ」  彼が語るところによると、その梯子はドゴン族だった彼の父と母が残してくれた遺品なのだそうです。彼がアフリカの出身であることを証明する唯一の品が、このドゴン族の梯子なのです。 「雨が上がって虹が見えたら、見晴らしのいい場所にこの梯子をかけて登れば、不思議なことに見えるんだよ。遥《はる》か彼方《かなた》のドゴンの地が……」  七十歳をすぎて、未《いま》だに一度もフランスを出たことがないと語る老店主。  しかし彼はその梯子があるかぎり、生涯訪れることのなかった故郷へ里帰りすることができるのです。  雨の止む傘  バルセロナに一週間ほど滞在して、帰国するその日のこと。空港へ向かう道すがら、少し時間があったので、私は床屋へ寄って髭《ひげ》をあたってもらうことにしました。  その床屋の主人は、お喋《しやべ》りなスペイン人にしては無口で実直そうな、背の低い男でした。半分ほど髭を剃《そ》ったところで、不意に店の中が薄暗くなり、窓の外で雷の音が響き始めました。大粒の雨が横なぐりに降り始め、主人は剃刀《かみそり》の手を止めました。激しい夕立です。  やがて髭を剃り終え、私は立ち上がりましたが、外の雨は相変わらずです。しかしフライトの時間があるのて、ぐずぐず迷っている暇はありません。すると、背後から床屋の主人が、無言のまま赤い女物の傘を差し出しました。心遣いは嬉《うれ》しいけれど、傘を返しに来られないと断ると、主人は、 「これは雨の止む傘だ。試しにこれをさして表へ立ってごらんなさい」  と言ってその傘を私に手渡しました。半信半疑でそれを広げ、表へ立ってみると、不思議なことに彼の言う通り、あっという間に夕立は止みました。私は彼に礼を言って、雨上がりの街を空港へ急いだのですが、あの傘を譲ってくれないかと、彼に言わなかったことを未だに悔やんでいます……。  ロンドンの空の下  映画を観た帰りに、霧雨が降ってきたので私はふと通りがかりのパブに入っていきました。なかなか本格的な英国風の店作りです。バーテンダーもボーイも、すべて英国人。注文も英語でしなければなりません。  東京にこんな店があったのかと感心しながらスコッチを飲んでいると、ロンドンへ出張しているはずの友人が、その店へ入ってきました。あまりにも奇遇なので私は面食らい、 「いつロンドンから帰ってきたんだ?」  と尋ねると、彼は彼で面食らった様子で、 「君こそ、いつロンドンへ来たんだ?」  と尋ねてきます。私は混乱して、頭を抱えてしまいましたが、彼の話を聞く内に、どうやらここはロンドンの下町にあるパブだということが分かりました。  とりえあず彼との再会を祝い、一時間ほど飲んだ後に、思い切って外へ出てみると、そこはやはり東京の街でした。友人に教えてやろうと、いさんで振り向くと、そこにあったはずの店の入口はあとかたもなく消え失せていました。空は相変わらず雲が重く垂れこめ、霧雨が降っています。まるで、ロンドンの空のように……。  ラッキースターの使い途《みち》  ポルトガルのリスボンに長期滞在していた友人が、私のために買ってきてくれたのは、星型のブローチでした。何だか女性っぽいものだったので私は不審に思い、これは何か意味があるのかと尋《たず》ねました。すると友人は、「これはラッキースターだ」と自慢げに答えるのです。 「胸につけて願い事をとなえると、一つだけ叶《かな》うそうだ。試しにやってみたらどうだ」  友人は続けてそう説明しましたが、もちろん私は冗談として受け取りました。しかしそのまま棄《す》ておくのも申し訳ないので、その場で胸につけて見せました。  その翌日のことです。私はラッキースターを胸につけたまま、近所に散歩に出掛けました。町中の本屋で時間を潰《つぶ》して、さて帰ろうとした時、大粒の雨が降ってきました。私は眉《まゆ》をひそめて空を見上げ、 「傘を持ってくればよかったな」  と呟《つぶや》きました。すると次の瞬間、私の手の中に黒い蝙蝠傘《こうもりがさ》が現れたのです。驚いて辺りを見回し、それから急に気がついて、胸元のブローチに目をやりました。しかし時すでに遅く、ラッキースターは消え失せていました。後に残ったのは、ブローチの金具だけです。こんな願い事に使ってしまうなんて……私はひどく後悔しましたが、もうどうしようもありません……。  雨の竪琴《たてごと》  アテネにある小さなバーで知り合いになったギリシア人は、信じられないほどの金持ちでした。意気投合して、家へ招待されたので訪ねて行ってみたところ、その番地には家はなく、一隻のクルーザーが港に係留してあったのです。恰幅《かつぷく》のいい彼は、クルーザーの甲板でシャンパンを飲みながら、私を待っていました。酒を酌み交わし、お互い大分酔いが回ってきた頃、彼は船室から大きな箱を持って来ました。開けてみると、中には古めかしい竪琴が入っています。 「これは、雨の竪琴というんだ」  彼はそう説明して、私の目の前でそれを奏で始めました。素晴らしい音色で、思わずうっとりと聞きほれていると、不意に雨が降り出しました。それまでは青空が広がっていたはずなのに、急に雨雲が岬《みさき》の向こうから流れてきたのです。 「上手に弾くと、雨が降るのさ」  彼はそう言ってから竪琴を箱にしまい、土産《みやげ》として私に手渡してくれました。ずいぶんな荷物になってしまいましたが、私は礼を言ってそれを持ち帰りました。  しかし残念なことに、私は竪琴をどうしても上手く弾くことができないのです。これを持って砂漠の国などへ旅行すれば、大いに役立つはずなのですが。どなたか、私に竪琴を教えてくれる方はいらっしゃいませんか?  雨の日のバーボン  アメリカ東海岸。ノーフォークに三日ほど逗留《とうりゆう》した時のことです。  ホテルの近くを散歩していた私は、雰囲気のあるバーを発見して、ふらりと立ち寄ってみました。テーブルは三つ、あとはカウンターがあるだけの小さなバーです。中はがらんとしていて、客の姿はありませんでした。私は少々拍子抜けしながらカウンターに近づき、中にいるマスターにオンザロックを一杯注文しました。それを飲みながらふとカウンターの棚を見やったところ、見たことのないラベルのバーボンが何本か並んでいるのに気がつきました。レイン、という名のバーボンです。珍しいのでそれを一杯くれと注文したところマスターは首を横に振りました。 「これは雨の日じゃないと出さないんだ」  そんなことを言うのです。聞けばこのレインというバーボンは、雨の日に飲むと喉《のど》がとろけるほど美味《うま》いのに、晴れた日に飲んだら水みたいな味しかしないらしいのです。私は必死になってマスターを説得し何とか一本だけ譲ってくれないかと持ちかけましたが、彼は頑固にそれを拒絶しました。 「そんなことをしたらこの町の酔っぱらいどもに殺されちまうよ」  マスターはそう言って肩をすくめました。  レイン、という名の雨の日のバーボン。ノーフォークに滞在予定の方は、ぜひ雨が降る日を待ってこのバーへ行ってみるべきです。  雨の神話  私の書斎机の引き出しには、ゴム製の耳栓が一対、しまってあります。普通耳栓といえば音を遮断するためのものですが、これはちょっと違うのです。手に入れたのはアメリカ西海岸、カリフォルニア半島のロザリオという街でした。海辺にたつ朝市を訪れた時、アンティークを扱う屋台の片隅に置いてあるのを発見したのです。 「これは雨の話を聞く耳栓だ」  屋台の主人はそう言って、耳栓を私の目の前に差し出しました。雨の日にこれを耳に嵌《は》めれば、雨の話し声を聞くことができると言うのです。半信半疑でしたが、大して高価なものでもなかったので、私は買うことにしました。  翌日、私は帰国しました。成田に着くと雨だったので、早速この耳栓を取り出して耳へ嵌めてみたところ、耳を疑ってしまいました。周囲にいる人たちの会話は遮断されているのに、どこからともなく話し声が聞こえてくるのです。耳を澄ますとそれは、長い長い叙事詩の一部のようでした。ギリシア神話のように、神々の伝説を語るような内容だったのです。  以来、私は雨が降ると、この耳栓を嵌めて雨の神話に耳を傾けるようになりました。おかげで今は、雨の日が待ち遠しくてなりません。  陽気になる薬  雨の日が三日ほど続いて、何となく物憂い気分でぼんやりしている、ある日の午後のことです。  リオのカーニバルを取材に行っている友人のディレクターから、小包みが届きました。珍客をもてなすような、浮き足立った気分で包みを開けると、中には小さなガラス壜と手紙が入っていました。手紙にはこう書いてあります。 「リオで面白い薬を見つけたので、君に送ることにする。薬屋の主人の説明によるとこれは�陽気になる薬�なのだそうだ。カーニバルの時は、みんなこれを飲んでいるらしい。ぜひ試してみてくれたまえ」  私は半信半疑でガラス壜の中の液体を見つめました。無色透明で、これといった特徴はありません。蓋《ふた》を開けて鼻を近づけてみると、新鮮な果物のような甘い匂《にお》いがします。と、どうしたことか、匂いを嗅《か》いだだけで体の中の血がざわざわと騒ぎ始め、何だか踊り出したいような気分になってきたのです。私はあわてて蓋を閉め、元の箱へしまい直しました。どうやらこの薬は、クリスマスまで取っておいた方がよさそうです……。  滑りやすい植物園  雨粒がフロントグラスを濡《ぬ》らし始めました。ワイパーを動かし、霧に煙る前方の景色に目をこらすと、熱帯植物園の看板が見えてきます。雨の日に南国の雰囲気を味わうのも悪くない。そう思った私は早速ハンドルを切って植物園の駐車場に車を滑り込ませました。チケットを買って温室の中へ入ろうとすると、係員の男性が、 「滑りやすくなってますから、気をつけて下さいよ」  と声をかけてくれました。  ドアを一歩入ると、そこはまさにジャングルでした。地面からムッとするような熱気が立ちのぼり、植物は頭上に覆いかぶさるように密生しています。行けども行けども辺りに人影はなく、どこからともなく鳥や獣の声まで聞こえ始めました。まるで本物のジャングル、例えば私が以前訪れたことのあるアマゾン流域に空間がスリップしてしまったのではないかと思えるほど、その密林は深く、どこまでも続いていました。  何時間さまよったことでしょう。へとへとになってようやく出口に辿《たど》り着くと、さきほどの係員が立っていて、茫然《ぼうぜん》とする私にこう言いました。 「どうです? 滑りやすいのは、足元だけじゃないんですよ」  レインスティック  南米のチリから帰ってきた友人が、少々変わった土産を持って私の家を訪ねてきました。一見、何の変哲もない木の棒なのですが、手に持って傾けると、サラサラと心地好い音が中から響いてきます。 「レインスティック、というものだ」  と友人は自慢げに説明してくれました。棒の中がくり抜いてあって、そこに爪楊枝《つまようじ》のようなクシが何本も刺してあるのだそうです。音の正体は小さな石。棒を傾けると、この小石がクシに当たりながら落下し、まるで雨のような音を出すのだそうです。 「南米じゃ楽器として使われてるんだが、この一本は特別な奴《やつ》なんだよ」  友人はそう言って、意味ありげな笑いを浮かべました。と同時に、表で雷鳴が響き渡り、激しい雨が降り出しました。 「ほらな。このレインスティックは雨を呼ぶんだよ。今、お前ずいぶん音を出したから、今夜は一晩じゅう降り続けるぞ」  南米土産の不思議なレインスティック。デートに遅れそうになった時にこれを振って大雨を降らせれば、遅刻の言い訳ができたりするので、結構重宝なのです。  音の章  どこかへ続く線路  シルクロードへの入口と呼ばれる街、ウルムチ。  この街の郊外へ向けて真っ直ぐに伸びているウルムチ—上海鉄道の線路の上に立って、私は深呼吸していました。  遥《はる》かに開けた草原を眺め渡すと、まるでこの線路が地球以外の、どこか不思議な場所へと続いているような錯覚にとらわれます。  線路に沿ってしばらく散歩していたところ、私は一人の少年と出会いました。彼は横たわって、線路に耳を当てていたのです。不思議に思って、私は何をしているのかと、声をかけました。すると彼は、真面目《まじめ》くさった表情で、 「上海の人たちの声を聞いてるんだ」  と答えました。そんなはずはないと思いながら、私も少年の真似をして、線路に耳を押しあててみました。すると驚いたことに、確かに人の話し声が聞こえてくるのです。どこの国の言葉かは定かではありませんが、確かにそれは人の声でした。  地の果てウルムチの線路の中に響き渡っていた誰かの声。もしかしたらあれは、あなたの声だったのかもしれません。  踊り出す靴 「ミラノへ行ったらぜひ一足、靴を作ってくるといい」  旅行好きの友人は私にそう言って、靴屋までの地図を書いてくれました。その翌日から私はイタリアへの旅行に出掛けたわけですが、ミラノのホテルへ着くまで、その地図のことは忘れていました。一眠りして夕方目が覚めた時にふと思い出し、夕食前のひとときを靴屋へ行くことで過ごそうと決めました。  訪れてみるとその靴屋は、老人が一人でやっている小さな店でした。まず友人の名前を告げて、靴を作ってくれないかと頼むと、老主人は「分かっている」とうなずいて、棚の奥から細身のスリッポンを出してきました。おそらく私の友人が注文しておいてくれたのでしょう。履いてみると、私の足にぴったりです。  ところがこの靴にはちょっと変わった特徴がありました。音楽が聞こえてくると、履いている本人の意思とは別に、ひとりでに踊り出してしまうのです。  ホテルまでの道すがら、この靴を履いた私は踊りながら帰らなければなりませんでした。  おそらく友人は、私が踊りが苦手なことを知っていて、わざとこんな靴を注文しておいたのでしょう。嬉《うれ》しいような迷惑なような、ちょっと複雑な気持でした……。  ジョン・レノンの鉛筆  香港のチムシャッツイといえば、東京の新宿のような場所です。ホテルやデパート、飲食店や小物を売る商店が所狭しと建ち並び、夜も遅くまで賑《にぎ》わっています。この街の片隅に、有名人の持ち物ばかりを扱う店があるのを御存知でしょうか。  プレスリーのステージ衣装。アインシュタインの帽子。J・F・ケネディ愛用の万年筆。キュリー夫妻が使用した試験管。チャーチルのステッキ。サルトルの眼鏡。トルストイの乗馬ズボン。そんなものが店じゅうの棚に陳列されているのです。どこまでが本当なのか確かめるすべもありませんが、私はこの店の胡散《うさん》臭さが好きで、香港を訪れるたびに足を運ぶことにしています。  さて今回私が購入したのは、ジョン・レノンの鉛筆。店の主の話によると、この鉛筆を使って作曲をすれば、ヒット曲を生み出せること間違いなし。安い買物だと勧められて、つい手を出してしまいました。さっそく楽器店に立ち寄り、作曲用の楽譜を買ってきて、今、机に向かっているところです。  もしこの夏、あなたが街角で「イマジン」や「スターティングオーバー」に似たメロディラインの美しい歌を耳にすることがあるとすれば、その作曲者は私だと思ってもらって結構です。  伝説の歌う剣  歌う剣の話を聞いたのは、つい最近のことです。  西ヨーロッパの歴史を専門に研究している友人の学者が、ある酒の席で私に話してきかせてくれたのです。その剣は十三世紀のもので、アイルランドのどこかに、勇敢な騎士の遺体とともに埋葬されているのだそうです。握りの部分にはドラゴンとツグミの絵が彫刻された、美しい剣……。そして一番の特徴は、鞘《さや》から引き抜くと、この世のものとは思えない美しい声がどこからともなく響き、歌が聞こえてくることなのだそうです。 「この歌声を聴くと、どんな相手も戦意を喪失してその場にひれ伏した、という伝説があるんだ」  と友人は解説してくれました。だからこの歌う剣を手に入れた者は、世の中を平和の内に支配することができるのだそうです。  この夏、友人はこの剣を求めて北アイルランドを旅する予定だと言いました。こういう話に私が乗らないはずはありません。その場で約束を取りつけて、同行させてもらうことになりました。  伝説の歌う剣。果たして私たちは発見することができるでしょうか。乞《こ》うご期待、といったところです。  カーサは家、ブランカは白  買物へ出た折にふと立ち寄ったレンタルビデオショップで、なつかしい映画を一本、借りてきました。  題名は『カサブランカ』。  御存知ハンフリー・ボガードの代表作です。物語の舞台はモロッコ。題名のカサブランカは街の名前ですが、そこがどういう街なのか、名前を日本語に訳せばすぐに分かります。  カーサは家、ブランカは白。つまり白い家。だからカサブランカは遠くから眺めると、砂漠の中にぽつんとそこだけ白く、まるで氷山のように見える街です。  ビデオを観終わってからベッドにもぐり込むと、まぶたの裏側に、カサブランカの白い街並みが浮かんだり消えたりします。映画に登場していた、あのピアノバーはどの辺りにあるのでしょうか。耳の奥で「アズ・タイム・ゴーズ・バイ」のメロディが、響き始めます。  おかげで今夜は、ハードボイルドな夢を見ることができそうです。  満腹の太鼓  ケニアのマリンディ。赤道直下のインド洋の港町で、私は不思議な太鼓を手に入れました。  直径二十センチほどの太鼓と、直径三十センチほどの太鼓を組み合わせたもので、外見的には特に変わったところはありません。木製の枠にはいかにもケニアらしい、大胆な原色の色付けがされており、装飾品としても一級品です。水牛の皮をなめしたものが張ってあり、掌で叩《たた》くと何とも言えない、小気味よい音がします。  売ってくれたのは港にたむろしている物売りの老婆でしたが、彼女の説明によると、これは満腹の太鼓と呼ばれるものなのだそうです。「腹が減ったら、この大小の太鼓を交互に叩いてごらん」と彼女は言いました。  その晩、私は空腹になったのを見計らってこの太鼓を叩いてみたのですが、なるほど、叩いている内に、まるでフルコースのディナーを食べ終わった直後のように、腹がいっぱいになってくるのです。夢中になって太鼓を叩いていると、その内、部屋の扉がノックされ、ホテルの支配人が困惑顔で入ってきました。彼の言い分はこうです。 「その太鼓を叩くのは止めてくれ。ホテルのレストランに客が来なくなっちまう」  歴史上の電話帳  私がその不思議な公衆電話を見つけたのは、エジプトの首都カイロにある、有名なホテルの裏側でした。散歩に出たところ道に迷ってしまい、二、三時間歩き回った挙句に、そのホテルの裏路地へようやく辿《たど》り着いたのです。とても暑い、夕暮れ時のことでした。  ふと見ると、辺りの風景には似つかわしくない雰囲気の、妙に近代的な電話ボックスがそこにありました。見たこともないような紫色の電話機と、ぶ厚い電話帳が備えつけてあります。私は何となく心ひかれるまま、電話ボックスの中に入り、電話帳をぱらぱらめくってみました。  驚いたことに、そこに記載されているのはもうこの世の人ではない歴史上の人物の名前ばかりなのです。ナポレオン、シーザー、アレキサンダー大王、チンギスハン……。  私は悪戯《いたずら》のつもりで受話器を取り上げ、ナポレオンの番号を回してみました。二回、三回、四回ほど呼出音が響いた末に、電話は繋《つな》がりました。流暢《りゆうちよう》なフランス語が聞こえてきます。私はあわてて受話器を置きました。そして足早にその場を立ち去りました。  あれは本当にナポレオン本人だったのでしょうか。それを確かめるためには、まず私はフランス語と歴史の勉強をしてから、もう一度カイロへ行ってみるしかありません。  犬笛屋  ロンドンの目抜き通りボンドストリートから一本|脇《わき》へ逸《そ》れた裏通りに、変わった店が一軒あります。その名も「犬笛屋」。犬を呼びよせたり、躾《しつ》けたりするための笛を専門に扱っている店です。私も近々友人から子犬を貰《もら》う約束になっていたので、ちょっと興味をひかれてこの店へ入ってみました。  中には古めかしい陳列棚があって、大小さまざまな犬笛がディスプレイしてあります。ただしどの笛も、吹いてみたところで人間の耳には何も聞こえません。犬の耳だけが、その音を聞き分けることができるのです。  しばらく店内を冷やかしていると、店の主人が豪華な箱を大事そうに抱えて、店の奥から出てきました。私には一瞥《いちべつ》もくれないで、その箱を開けて中の犬笛をいとおしげに磨き始めるので、「それは特別製ですか?」と声をかけてみました。すると主人はやや迷惑そうな表情で、 「これは世界中の犬が一遍に反応してしまうほど強力な犬笛だ」  そう答えて、ほんの一瞬だけ吹いてみてくれました。もちろん私には何の音も聞こえません。しかししばらくすると……あなたも聞きませんでしたか? 先週の金曜日、辺りの犬が一斉に遠吠《とおぼ》えを始めたことがあったでしょう? あれはこの店の主人が一瞬だけ吹いた犬笛のせいだったのです……。  隣りあわせた男  先日、ロンドンから帰る飛行機の中で、私は風変わりな男と隣りあわせました。話を聞いてみると、彼は手品師で、これから日本へマジックショーをやりに行くのだそうです。 「一番得意なマジックは、これです」  彼はそう言って、小さな笛を取り出しました。何かの動物の骨で作ったような笛です。彼はそれを口にくわえて、静かに吹き鳴らしながら、私の横顔をじっと見つめました。実に不思議な音色です。しばらく吹いてから彼は笛を膝《ひざ》の上へ置き、こう言いました。 「これは、人の心を読む笛です。今あなたの心の中を読んでみました」  私は驚いて、それが本当なら、今私が何を考えていたのか言い当ててみてくれ、と言いました。すると彼はにやりと笑い、スチュワーデスの呼出しボタンを押しました。 「シャンパンが飲みたい、と思っていたでしょう?」  と、彼は思わせぶりな口調で言いました。確かにその通りだったので、私は思わず微笑《ほほえ》んでしまいました。そして、そばに来たスチュワーデスにこう告げました。 「シャンパンを貰えますか。こちらの手品師の方にも」  只今《ただいま》研究中  イギリスの大英博物館には、実は公にされていない数々の逸品が、暗い倉庫の中で眠っています。政府から承認を得た研究者だけがこの倉庫に入れるのですが、今回特別のはからいで私もここへ入ることを許されました。もちろん博物館の職員も一緒なのですが、それでも充分に興奮する出来事です。  職員に案内されるまま、巨大な倉庫の中をあちこち見て回った後、私は一人の研究者と出会いました。中年のでっぷり太った、偏屈そうな男です。彼は倉庫の中央に据えてある大きなテーブルに頬杖《ほおづえ》をつき、小さな石を耳にあてていました。 「何をしているのです?」  私がそう尋ねると、彼は面倒臭そうに私を見つめ、無言のままその石を手渡しました。同じように耳にあててみると、驚いたことに石の中から人の声が聞こえます。どこの国の言葉かは分かりませんが、確かに誰かが話している声なのです。 「インカ帝国の発掘跡から発見された喋《しやべ》る石だ。まだ、言語が解明されていないので、何を喋っているのか研究中なんだが」  彼はそう言ってその石を私から受け取り、また耳にあてました。私は口もきけないほど驚きましたが、大英博物館の倉庫では、これくらいのことは日常茶飯事のようです。  悪魔のバイオリン  ローマ。スペイン広場にほど近い路地に、ひっそりと建つ古ぼけた楽器店で、私は世にも珍しいバイオリンを手に入れました。作曲家のタルティーニが「悪魔のトリル」と呼ばれるバイオリンソナタを作曲した時に使ったものです。  偶然この楽器店の前を通りがかった時、店の中からは不思議な楽曲が響いていました。興味をひかれて店内へ足を踏み入れると、店番の老人が一人、バイオリンを抱えて居眠りをしています。驚いたことに、周囲に響き渡る不思議な楽曲は、眠っているはずの老人の手が奏でていたのです。しばらく茫然《ぼうぜん》としてその音楽に耳を傾けていると、老人は不意に目を覚まし、こう呟《つぶや》きました。 「悪魔のバイオリンじゃよ。才能のある者が抱えて眠ると、夢の中で悪魔が曲を教えてくれるんじゃ」  私は無理を言ってこの不思議なバイオリンを譲ってもらったのですが、帰国して試してみたところ、どうも上手くいきません。抱えて眠ってみても鼾《いびき》のような音を奏でるばかりなのです。  そばにいてもらった友人の話によると、その音は悪魔よりも恐ろしいのだそうです……。  街の音コレクション  異国の街を歩いている時、私はふとポケットの中のウォークマンの録音ボタンを押してみることがあります。  何を録《と》りたいというわけでもなく、ただ漠然と街の音を録音してみるのです。どの国の街にも、その街の音というものがあります。  行きかう人の話し声、車の音、街角に流れる音楽……。  日本へ帰ってきてしばらく経ってからこのカセットを聞いてみると、写真では味わえないようなその街の思い出が蘇《よみがえ》ってきます。目をつぶって、その街の音に身をゆだねると、まるで今も自分がその街の中にいるような、不思議な気分が味わえるのです。  そんなふうにして気儘《きまま》に集めた街の音のコレクションも、いつのまにか結構な本数になり、今ではカセットラックのひとつの引き出しを占領するまでになりました。  世界中の街の音がぎっしり詰まったこの引き出し。それは私だけの、世界へ通じる小さな扉でもあるのです。  ファーブルの耳栓  南フランス、アヴィニョンに滞在した時のことです。  ホテルの向かい側にある、観光客相手のがらくた屋で、ちょっと不思議なものを見つけました。  それは柔らかいゴムでできた一組の弾丸のようなもので、正札には「ファーブルの耳栓」と書いてあります。そういえばファーブルはアヴィニョン近郊で昆虫採集にいそしんだそうですから、何かゆかりがあるのでしょう。  私はさっそくその耳栓を手に取って、試しに耳へ嵌《は》めてみました。すると、どこからともなく小さなかぼそい声が聞こえました。フランス語で「ごちそうさま」と言っているようです。誰が喋《しやべ》っているのかと、辺りを見回すと、一匹の蚊が私の腕を刺して、ふわふわと飛んでいくところでした。どうやらこの耳栓をすると、虫たちのお喋りが聞き分けられるようになるらしいのです。  私は買おうかどうしようか、かなり迷いましたが、結局買わずに帰ってきました。  何しろその耳栓は、虫たちの言葉がフランス語で聞こえるのですから、まずフランス語の勉強が先だと。そんなふうに思ったのです。  拍手の壜詰め  学生時代。私が淡い恋心を抱いたその彼女は、フランスへ留学したまま向こうへ居ついてしまい、長い間消息が知れませんでした。風の噂《うわさ》で、モンマルトルに住んでいると聞いたのは、二年ほど前だったでしょうか。プールヴァールと呼ばれる小さな劇場で、芝居をしているという話でした。  その彼女から、ある日突然に小包みが届きました。中には手紙が一通と、空の香水壜がひとつ。  手紙の方を読んでみると、彼女の近況が生き生きとした文章で書かれていました。プールヴァールの芝居が、モンマルトル界隈《かいわい》で好評を博していることを、昔の仲間である私に、どうしても知らせたかったのでしょう。  手紙の最後には、こう書いてありました。 「先週の土曜日のマチネで、私がどんな喝采《かつさい》を浴びたか、香水壜の蓋《ふた》を開けて確かめてみて下さい」  私はその意味がよく分からないまま、空の香水壜の蓋を開けてみました。すると中から、割れるような拍手と歓声が響いてきました。  モンマルトルから送られてきた、拍手の壜詰め。遠い異国でまっすぐに生きている彼女に、私も拍手を送りたい気持でした。  耳のいいソラマメ  昔々、まだ願い事が叶《かな》った頃。ソラマメと藁《わら》と炭が一緒に旅に出ました。  途中、川に突き当たって三人は困惑しましたが、その内に藁が身を横たえて橋の代わりになると言い出しました。そこでまず炭が藁の上を渡ろうとしたのですが、川の半ばで怖くなってしまい、ぐずぐずしている内に藁が燃え出して、二人とも川の中へ落ちてしまいました。その様子を見ていたソラマメはおかしくて大笑いしたところ、笑いすぎて体がプチンと弾けてしまいました。運の良いことに、川原で昼寝をしていた仕立屋が、すぐにソラマメを拾い上げてやり、弾けた体を縫い合わせてやりました。でもこの時黒糸を使ったので、ソラマメの体には今も黒い縫い跡があるのです。  これはドイツに伝わるグリム童話のお話。先日ベルリンを訪れた折に、一緒に食事をした友人に教えてもらいました。  その時、テーブルの上にはソラマメの料理が用意されていたのですが、友人が話し終えると同時に、皿の中のソラマメがいくつか、プチプチと音を立てて弾けたのには驚きました。  どうやらドイツのソラマメには耳があって、人の話を盗み聞きしているようです……。  オーロラ姫の寝息  ドイツにノイッシュバンシュタイン城という城があるのを御存知ですか。十九世紀に建てられたもので、城主のルードウィッヒ二世はこの城の建築に執着するあまり国政に失敗した、とまで言われる壮麗な城です。  私がこの城を訪れたのは、まだ陽が昇ったばかりの早い時間でした。朝日の中にそびえ立つ、その高い尖塔《せんとう》を眺めた時、私は『眠れる森の美女』に出てくる城を思い出しました。この物語の舞台は十四世紀ですから多少時代がずれていますが、周辺の山々といい、高いバルコニーといい、ちょうどイメージ通りの風景です。 「ということは、城の最上階にオーロラ姫が眠っているわけだ」  と、そんなことを考えながら、私は城の階段を一段ずつ上りました。息が切れて、へとへとになった頃、ようやく最上階に辿《たど》り着き、私はバルコニーのある部屋の前に立ちました。しかし残念なことに、その部屋の扉には鍵《かぎ》がかかっていたのです。仕方なく引き返そうとした時、扉の内側から、何か物音が聞こえてきました。耳を澄ますと、それは誰かの寝息のようでした。  あれは、オーロラ姫の寝息だったのでしょうか。それとも単に、部屋の中に吹き込む風の音だったのか。本当のことは、未《いま》だに分からないままです……。  夢を奏でるオルゴール  ジュネーブの南、カルージュという小さな町で、私は素晴らしいものを見つけました。ドイツ製のアンティークオルゴールです。高さ百七十センチ、幅九十センチの大きなものですが、百年近く前のものとあって、さすがにあちこち傷《いた》んでいます。店の主人は、これは動かないから只《ただ》の飾りだ、と説明しましたが、私はどうしても欲しくて、その場で買ってしまいました。  船便で日本へ送り、一足先に帰国して待つこと二週間。アンティークオルゴールは私の手元へ届きました。それから約二カ月、私はこのオルゴールを修理することに夢中になりました。ゼンマイを新しくし、ネジを締め直し、歯車を換えてやり……。しかしオルゴールは動きませんでした。本当なら、美しい「アベ・マリア」の曲が流れるはずなのですが。  私はがっかりして、修理をあきらめました。ところが不思議なことに、その夜から、私の夢の中でオルゴールの「アベ・マリア」が鳴り響くようになったのです。それまでは一度も、音楽の夢は見たことがなかったので、私は驚きました。まるで映画のサウンドトラックのように、どんな夢を見てもオルゴールがバックに流れているのです。  オルゴールの伴奏付きの夢。一生懸命に直そうとした私の熱意に対して、オルゴールが夢の中でありがとうを言っているのかもしれません。  子守歌のトライアングル  音楽の都ウィーンで私が手に入れた銀色のトライアングルは、一風変わった音を奏でます。  子守歌のトライアングル、と呼ばれているもので、夜中に眠れない時、これを耳元で鳴らすと、ぐっすり眠れるような効果があるのです。トライアングルを左手で持って、銀色のバチで軽く叩《たた》くと涼やかな音が響いて、聴く者を眠りに誘うのです。  つい先日、私はやり残した仕事を家へ持ち帰り、徹夜を覚悟で机に向かっていました。どうしても朝までに仕上げなければならない仕事だったのです。こういう時は、机の隅に置いてある子守歌のトライアングルも、憎らしく感じられます。真夜中の三時を過ぎて、私は猛烈な睡魔に襲われました。自然と瞼《まぶた》が下がってきて、全然仕事に集中できないのです。  その時ふと思いついて、左手に銀色のバチを持ち、いつもとは逆にトライアングルの方をぶつけてみました。すると何とも表現しようのない嫌な音が響き渡り、すっかり目が覚めてしまったのです。なるほどこういう使い方もあったのかと感心し、何度かその嫌な音を聞いて目を覚まして何とか仕事を終えることができました。  忙しい時は確かに役に立つのですが、できればあんな音を聞かずに、夜はぐっすりと眠りたいものです。  妖精《ようせい》のオルゴール  長い間、東欧を旅して帰国した友人が私に見せてくれたのは、ユーゴスラビアで手に入れたオルゴールでした。四十センチ四方ほどもある大掛かりなもので、右側についている把手を回すと涼しげな音で曲を奏でます。聞いたことのない、異国の曲です。なかなかいいじゃないか、と私が褒《ほ》めると、友人は得意になって把手を回しました。  普通オルゴールといえば同じ曲が繰り返しかかるはずなのに、不思議なことに、今度は違うメロディが流れてきました。把手を回せば回しただけ、違う曲がどんどん流れてきます。私は驚いて、そのことについて友人に尋ねてみました。すると彼はにやりと笑って、 「これはユーゴスラビアで手に入れた、妖精のオルゴールだ。この箱の中に小さな妖精がいて、把手を回すとその場で曲を作って、ハープを演奏するんだ」  と答えました。私は感心して、ぜひ妖精に会わせてくれと頼みましたが、友人はそれだけは勘弁してくれと答えました。蓋を開けると、妖精は消えてしまうのだそうです。  私は納得して、目をつぶり、妖精の姿を想像しながらオルゴールの音楽に耳を傾けました。恥ずかしがりやの妖精と、私と、友人と。三人の夜が静かに更けていきます……。  踊るTシャツ  苦手なものをひとつあげなさいと言われたら、真っ先にダンスと答えるほど、私はダンスが苦手です。しかしそんな私が先日ニューヨークで大変身してしまったのです。  きっかけはニューヨークに住む友達のダンサーからもらった、一枚のTシャツでした。胸の辺りに、華麗に踊る一組の男女がプリントされたTシャツです。これをくれたダンサーは笑いながらこんなことを言いました。 「このTシャツを着ると、音楽に合わせて体が勝手に動くようになるよ」  半信半疑でしたが、翌日、早速このTシャツを着てソーホーの辺りをうろうろしていたところ、急に体がむずむずし始めたのです。見ると、道端に男が一人立っていて、サックスを吹いています。私の体、というかTシャツはこのサックスの音に反応したのです。自分ではまったくその気がないのに、私は男の前で踊り始めていました。しかも信じられないほど華麗なステップです。道端の男は驚いて、負けじとサックスを吹きまくりました。私たちのセッションは一時間ほども続きました。へとへとに疲れて、私たちは肩を貸し合いながら近所のパブへ行き、すっかり意気投合してビールを飲みました。  それ以降、ダンスに対する私の苦手意識はきれいさっぱりなくなりました。何ならあなたのお相手を務めても構わないのですが。  ハミングバートのハーモニカ  二年ほど前にかなりタイトなスケジュールでニューオリンズを訪れた時、私は一風変わったハーモニカを手に入れました。地元に住むコーディネイターの案内で連れていってもらった楽器店で、偶然見つけたのです。一見したところごく普通のハーモニカなのに、値段がべらぼうに高いので、不思議に思ってその理由を店の主人に尋ねたところ、彼は顎鬚《あごひげ》を触りながらこんなふうに答えました。 「これはハミングバードのハーモニカと呼ばれるものだ。森の中へ行ってこいつを吹いてみれば、値段が高い理由も分かるよ」  意味深な彼の言葉に刺激されて、私はこのハーモニカを買うことにしました。  翌日、市内にある大きな公園の中の森へ出掛け、ハーモニカを吹いてみたところ、驚くべきことに森じゅうの鳥たちが私のそばへ集まってきて、一緒に歌い始めたのです。まるでハメルンの笛吹きのような具合です。鳥たちはまったく警戒もせずに私の頭や肩に止まり、澄んだ歌声を響かせました。  以来私はデートの待ち合わせ場所に公園を選ぶようになりました。ベンチに腰掛けてこのハーモニカを吹くと、大抵の女性はびっくりして私に興味を持ってくれるのです。買った時は、よもやデートに役立つとは思いもよらなかったのですが……。  ジャズ嫌いなギター  マイアミビーチから海岸沿いの道を北へ十五キロ。トラックの長距離運転手たちが集まる、大きなドライブインがあります。  この店の自慢はチーズバーガーと、チリコンカーニ。そしてもうひとつ、不思議なギターがカウンターに置いてあることです。  店主の話によると、このギターを上手に弾けば弾くほど、沢山の一ドル銀貨が弦の先からこぼれ落ちてくるのだそうです。試しに彼がギターを持って、ジャマイカ風の音楽を爪弾《つまび》き始めたところ、確かに弦の先から一ドル銀貨が二、三個ぽろぽろとこぼれ落ちてきました。  早速私が挑戦してみたのは言うまでもないことです。ギターを抱いて息を整え、学生時代によく練習したジャズの名曲「星に願いを」を静かに弾き始めました。  しかしいくら弾いてみても、一ドル銀貨はひとつもこぼれ落ちてきません。隣でその様子を眺めていた店主は、気の毒そうな顔をして私の肩を叩《たた》き、こう言いました。 「このギターはジャズは嫌いらしい。もっと明るい奴《やつ》は弾けないのか?」  悲しみの太鼓  メキシコシティの南、ミトラの先の山奥に住むインディオたちが作り出す民芸品の美しさには、目を見張るものがあります。  ヤシの葉で作る籠《かご》や、色とりどりの織物。中でも私が気に入ったのは、ヤシの実をくりぬいて表面にヤギの皮を張って作った、小さな太鼓でした。  インディオの説明によると、これは「悲しみの太鼓」という不思議な楽器で、悲しんでいる人の心を慰めるためのものなのだそうです。だから楽しい気分でいる人が叩いても、音がでないと言うのです。  試しに私が叩いてみましたが、なるほど何の音もしません。代わってそのインディオが叩くと、何ともいえない渇いた音が出ます。  なかなか興味深かったので、しばらく彼の演奏に耳を傾けた後、これを買いたいと申し出たところ、彼は急に表情を明るくして笑いかけました。そして同時に、太鼓の音はしなくなりました。私が買うと言ったので、彼は急に楽しくなってしまったのでしょう。  メキシコで手に入れた悲しみの太鼓。近い内に失恋でもしたら、一晩じゅうこれを奏でてみたいと思っているのですが……。  本の中にいた自分  この前の休日、ふと立ち寄った書店で、一冊の写真集が私の目をひきました。それはアメリカの古いジュークボックスの写真ばかりを集めたもので、私は何だか懐かしい思い出にかられて、それを手に取りました。  学生時代、しばらくアメリカに滞在していた頃、仲間たちとよく行った店にジュークボックスが置いてあったことを思い出したのです。お気に入りの曲は「砂に書いたラブレター」。コインを放り込んでは、何度もかけたものです。  家に帰ってこの写真集を開いてみると、アメリカにいた頃の友人の顔や名前が、一人一人思い出されてきます。まるでアルバムのページをめくるような気分です。  と、どこかから音楽が聞こえてきます。それは忘れもしない「砂に書いたラブレター」のメロディです。不思議に思いながら本をめくっていくと、最後のページでその理由が分かりました。そこには私が学生時代によく行ったあの店が写っていたのです。懐かしいあのジュークボックス。リクエストをしている青年は、間違いなく私です。  私は目を閉じて、ページの中から流れ出してくる音楽に身をゆだね、遠い昔へと旅に出ることにしました……。  サボテンの言い分  リビングルームの片隅に飾ってあるサボテンは、私が今の部屋へ引っ越して来た時、ある友人が引っ越し祝いに贈ってくれたものです。  高さは、約八十センチ。途中で幾つにも枝分かれして、すっくと生えている様子は、怪力自慢の男が力こぶを作って見せているポーズに似ています。  ごくたまに、気が向いた時だけ水をやっているのですが、そんな育て方でも、枯れる様子は一向にありません。  今日、植物好きの友人が訪ねて来た時にこのサボテンを見せると、彼は棘《とげ》が刺さりそうなほど近くに耳を寄せて、物思いに耽《ふけ》るような顔をした後、こんなことを言いました。 「このサボテンはメキシコの生まれだそうだよ。クラシック音楽を聞かせれば、花を咲かして見せてくれると言っている」  私はきょとんとしてしまいましたが、友人は真面目な顔をしていました。そこで彼の言葉に従って、今夜は一晩じゅうワーグナーをかけているのです。  さて、明日の朝、サボテンはメキシコの花を咲かせて見せてくれるでしょうか。なんだかわくわくしてしまいます。  ビル爆破余話  仕事の関係でシカゴを訪れていた時のことです。ある知人が、ダウンタウンの外れにあるビルがその日の午後二時に解体業者によって爆破されるというニュースを教えてくれました。私はこの世紀のスペクタクルを見物するために、急いでホテルを出ました。  現場に到着すると、既に二時を過ぎていたにもかかわらず、ビルの解体は始まっていませんでした。観客の中で、警備員と何やらモメていた何人かの老人たちが、ビルの中へ入っていってしまったのです。周りの人に尋ねてみると、このビルは以前からある地方銀行の建物で、中へ入っていった老人たちは、二十年も前に引退した銀行の職員なのだそうです。彼らは思い出深いこのビルの形見を手に入れるために、中へ入っていったのです。  やがて老人たちは古びた椅子《いす》や壁の破片など、思い思いの品を手に、正面玄関に現れました。  それから十五分後、辺りの空気を震わせる大音響とともに、地上十五階のビルは崩れ去りました。ものすごい量の砂埃《すなぼこり》が舞い上がり、辺り一面が真っ白になって、何も見えなくなりました。  同時に周囲から歓声が起きました。シャンペンが抜かれ、あちこちで乾杯の声が上がりました。このスペクタクルだけでなく、あの老人たちの人生を祝福したのは私だけではなかったに違いありません……。  お近づきのしるしに  ロサンゼルスのダウンタウンにある小さなジャズクラブで、私は変わり者のサックスプレイヤーと知り合いになりました。彼はもう立つのも億劫《おつくう》なほど年寄りなのに、いざサックスを手にすると背筋がしゃんと伸び、素晴らしい音色を響かせるのです。 「お近づきのしるしに、これをあげよう」  カウンターに腰掛けて話し込んでいる内、彼はそんなことを言ってポケットからチューインガムを取り出しました。礼を言ってすぐに噛《か》もうとすると、彼はちょっと待ったと私を制し、こんなことを言いました。 「噛む前に、自分の好きな曲を思い浮かべるんだ。それからその曲に合わせてリズミカルに噛んでみな」  言われた通りに私はセロニアス・モンクの「ラウンド・ミッドナイト」という曲を思い浮かべながら、リズミカルにガムを噛んでみました。すると不思議なことにその音楽が、耳の奥の方で響き始めたのです。呆気《あつけ》にとられ、音楽に聞き惚《ほ》れていると、年寄りのサックスプレイヤーはにこにこ笑いながら、もう一枚ガムを勧めてくれました。もちろん私はそれを受け取り、ポケットにしまいました。今でもこのガムは私の書斎机の引き出しの中にしまってあります。噛まなくては何の意味もないのですが、もったいなくてなかなか口へ放り込めないのです。  遠い国から電波  子供の頃、通信販売で『五球スーパー』という真空管ラジオのキットを手に入れたことがあります。設計図と首っぴきで二週間。ようやく完成してスイッチを入れた時には、胸が震えたものです。  その時、イヤホンから最初に聞こえてきたのは、聞いたこともない言葉の短波放送でした。私はどきどきしながら、その言葉に聞き入り、どこの国からこの電波は飛んできているのだろうと想像しました。やがてナレーターの声が途切れ、今度は不思議な音色の弦楽器の演奏が始まりました。少し物悲しい、けれどとても優しい音色でした。  少年時代に胸を高鳴らせた、この音色と久し振りに再開したのは、つい先日、仕事でブラジルの放送局を訪れた時のことです。  その小さな放送局の仕事ぶりをぼんやり眺めていたところ、女性のナレーションに続いて、あの懐かしい弦楽器の響きが流れてきたのです。  もう何十年も前に聞いた、あの音楽。  私は我を忘れて聞き入りました。同時に私の脳裏には、世界のあちこちで、この音楽に聞き入っている少年たちのキラキラした瞳《ひとみ》が、ありありと浮かんできました……。  からっぽラジオ  ウルグアイの首都モンテビデオで手に入れたラジオは、とても変わっています。掌ほどのサイズで、造りもひどく粗悪なものですが、感度だけはいいのです。  私はモンテビデオのホテルで、ずっとこのラジオから流れてくる音楽を聞きながら原稿を書いたりしていたのですが、その内に、何かがおかしいと思い始めました。その音楽が今までに聞いたことのない種類のものだったからです。不思議に思って耳を澄ましていると、やがてニュースらしき放送が始まりました。ところがこの放送の言葉も、今までに聞いたことのない種類の言語なのです。とても地球の言葉とは思えない、まるで火星や金星の宇宙人が喋《しやべ》っているような言葉でした。  私は首をかしげながらラジオを手に取り、ふと思いついて裏蓋《うらぶた》を開けてみました。驚いたことに、中は空だったのです。ICもトランジスタも、電池すら入っていません。がらんどうで、ケースしかないのに、どうしてこのラジオはちゃんと電波をとらえることができるのか。そしてこの電波は、どこから発信されているのか。  真相は一切分かりませんが、とにかく私はこのラジオを日本へ持ち帰り、今でも時々取り出しては不思議な音楽に耳を傾けている次第です……。  あなたに電話です  受話器を取ってダイアルを回しかけた時、私は彼女が今、留守にしていることを思い出しました。ビジネスで香港へ二週間ほど行く予定だと、この間会った時に聞いたのです。ちょっとがっかりして受話器を置きかけましたが、思い直して、彼女の部屋の番号を回すことにしました。留守番電話にメッセージを吹き込んでおこうと思ったのです。  呼出音が三回、四回、五回。六回めで電話は繋がりました。ところが、聞こえてきたのは留守番電話のテープではなく、彼女本人の声でした。 「香港へ出張じゃなかったのかい?」  私がそう尋ねると、彼女は不審そうな声で、 「ええ、今香港にいるのよ。あなたよく私の居場所を知っていたわね」  と答えました。不思議なこともあるものです。彼女の話では、香港島のオフィス街を歩いていたら、街角から現れたビジネスマンが、 「あなたに電話ですよ」  と言って、携帯電話を渡すなり、足早に立ち去ってしまったのだそうです。一体、誰なのでしょう。もしかしたら、スーツを着たキューピッドだったのかもしれないと、彼女は少女のように笑うばかりです。  神さまの声  香港のハーバーロードには、時々変わった屋台の店が軒をつらねます。無許可で店を出しているらしく、警官の姿が見えるなり、すぐに店を畳んで逃げ出してしまうので、どろぼう屋台と地元の人は呼んでいるようです。  この屋台で私は、ちょっと面白いカセットテープを買いました。 「神さまの声が録音されたカセットテープだよ!」  屋台の若者はそんなことを言って、客の注意をひいていました。彼の話によると、そのテープには神の啓示が録音されており、これから先地球上に起こる様々な出来事がすべて分かる、と言うのです。  面白そうなのでひとつくれないかと持ち掛けると、彼は代金を受け取りながらこんなことを言いました。 「ただし、心の汚れた人には何も聞こえません」  私は早速ホテルの部屋へ戻ってテープを聞いてみましたが、何も聞こえません。  一杯くったかなと苦笑してあきらめることにしましたが、果たしてこれはインチキテープだったのでしょうか。それとも私の心が汚れているせいなのでしょうか。  文の章  疲労の砂  疲労の砂、と呼ばれる不思議な砂のことを御存知ですか。  小川未明という童話作家の作品の中に出てくるので、聞き覚えのある方もいらっしゃるでしょう。  この砂をぱらぱらとふりかけると、どんなものでもたちどころに疲労してしまうのです。例えば、鉄道のレールにこの砂をふりかけると、見る見るレールは赤錆《あかさび》だらけになってしまいます。紙にふりかければ、たちまち黄ばんでしまいますし、人間にふりかければすぐに疲労して眠たくなってしまうのです。  この砂はいったいどこへ行けば手に入るのか?  私は子供の頃から探しているのですが、なかなか見つけることができません。おそらく中近東の砂漠の中か、あるいはアフリカのサハラ砂漠の辺りではないかと思うのですが。もし、あなたが砂漠を歩いている時に、急に疲れを感じるようなら、それはおそらくこの疲労の砂のせいです。私にその場所をぜひ教えて下さい。  ……と、話している内に何だか眠くなってきました。誰かが私に疲労の砂をふりかけたのかもしれません。今夜は、もう休むことにします……。  王子が消えた場所  サン・テグジュペリの『星の王子さま』。とても不思議な魅力を持った本で、何故か分からないけれども、五年おきくらいに、ふと読み返してみたくなります。  主人公の「ぼく」が、星の王子と出会うのはサハラ砂漠の真ん中。二人は少しずつ友達になっていきます。王子がもともと住んでいた小さな星の様子や、宇宙を旅する途中で出会った人たち……孤独なうぬぼれ男や厭世《えんせい》家の飲《の》ん平、いそがしそうな実業家や気難しい地理学者。そんな話を聞く内に、主人公の「ぼく」は、すっかり王子のことが好きになってしまいます。  物語の最後に、王子は毒蛇に噛《か》まれて地上から姿を消してしまうのですが、その場所の絵が最終ページに描かれています。  砂漠を表す二本の稜線《りようせん》と空にまたたくひとつの星。  子供の落書きのようなこの絵を見るたびに、私は大人げなくも泣きたくなってしまうのです。そしていつかサハラ砂漠へ行って、王子が消えたこの場所を探してみたいと、ぼんやり考えてしまうのです……。  ピーターパンの住む公園  ロンドンに住む友人から届いた手紙には、一枚の写真が同封されていました。  その裏には「一九九〇年、ケンジントンパークにて」と記されています。ケンジントンパークといえば、ピーターパンが住んでいたと言われる公園です。しかしその写真には、ただ一面の芝生が写っているだけで、それらしい風景は何も写っていません。  不思議に思って手紙を読んでみると、 「ついにケンジントンパークで妖精《ようせい》に出会った。輪になって踊っているところを写真に撮ったので、送ることにする」  と書いてあります。手のこんだジョークかなと思って、写真をしまおうとした時、その一面の芝生の上に、踏み固められたような跡が、ちょうど円を描いて残っているのに気がつきました。  そういえば『ピーターパン』の中に、妖精たちは大変恥ずかしがりやなので、その姿を人に見られるのをとても嫌がるのだ、とあったのを思い出しました。  もしかすると妖精たちは、ロンドンから送られてくる間に、その写真をこっそり抜け出してどこかへ隠れてしまったのかもしれません……。  芸術の病い  スタンダール・シンドロームという病気を御存知ですか?  その昔『赤と黒』の構想を練るためにフィレンツェに滞在していたスタンダールが罹《かか》った、激しい眩暈《めまい》と悪寒を伴う一種のノイローゼです。美しい芸術作品と出会った後に突如として症状が現れる、原因不明のフィレンツェの風土病。  この不思議な病気に、私も先日罹ってしまいました。  フィレンツェを訪れた折に、私はスタンダールの足跡をたどって、ドゥオモの大聖堂、ウフィッツィ美術館、ミケランジェロ広場とルネサンスの香り高い場所を選んで歩きました。そしてサンタ・クローチェ教会に辿り着き、ドナテルロの描いたフレスコ画の前に立った時、不意の眩暈と悪寒におそわれたのです。頭を抱えて近くのベンチに腰を下ろしていると、そばで見ていた一人の老人が近寄ってきました。彼は「自分は医者だ」と名乗り、私の額に手を当てた後、 「心配いりません。軽いスタンダール・シンドロームです。芸術家がこの土地でよく罹る病気ですよ」  そう言って笑いました。どうやら私にも、少しは芸術家の才能が隠れているようです。  日本へ帰ったら、ひとつ絵でも描いてみようかと、その時は思ったのですが……。  泥の中の王冠  マルチェロ・マストロヤンニ主演の映画、「黒い瞳《ひとみ》」。  チェーホフの短編小説を原作にした男と女のお話ですが、あの映画の中で主人公のマストロヤンニが、温泉のあるリゾート地へ保養に行くシーンがあります。あれはユーゴスラビアのドロ風呂だよと、ある友人が私に教えてくれました。  彼の話によると、その昔ヨーロッパの王侯《おうこう》貴族は、こぞってこのドロ風呂に入るため、ユーゴスラビアを訪れたのだそうです。 「オランダの国王が、ドロ風呂の中に王冠を落としてしまい、未《いま》だに見つかっていないという話もあるぞ」  と、その友人は生真面目な表情で私に話してきかせました。  泥の中の王冠。  もし本当なら、宝探しの気分でユーゴスラビアを訪れるのも面白いかもしれません。  しかしあの真っ黒な泥の中に頭から浸かって、底の方を手探りする勇気が私にあるかどうか。もしその勇気があなたにおありなら、今すぐユーゴスラビアへ行くことをお勧めするのですが。  アポリネールに会う 「ミラボー橋の下をセーヌ川が流れ  われらの恋が流れる 私は思い出す  悩みの後には楽しみがくると  日も暮れよ 鐘よ鳴れ  月日は流れ 私は残る」  フランスの詩人アポリネールが書いたこの詩を、私は若い頃から何度も何度も繰り返し読んだものです。だから初めてフランスを旅した時も、真っ先に訪れたいと考えていたのはミラボー橋でした。「月日は流れ 私は残る」と詩《うた》ったアポリネール自身が、橋のたもとにぼんやりと佇《たたず》んでいるような気がしたからです。  しかしその話を聞いたフランス人のガイドは、ちょっと困ったような顔をして、そういうことなら今は行かない方がいいと思う、と言いました。 「観光気分で訪れるだけなら、ミラボーはただの汚い橋に過ぎない。本当に辛い失恋をした時に、行ってみた方がいい。そうしたらきっとアポリネールに会えるよ」  彼はそんなふうに言って、私を引き止めました。だから、私は未だにミラボー橋へ行ってみたことはありません。なかなか失恋をしないので、アポリネールに出会うことができないのです。  遥《はる》かなる立ち読み  パリ。サン・ミシェル広場近くの書店「シェイクスピア&カンパニー」。一九二〇年代にはジョイスやヘミングウェイなどの文豪が立ち寄った書店として有名です。もちろん私もこの書店を愛していて、パリを訪れるたびに必ず足を運びます。店先には古ぼけたテーブルが置いてあって、ここには安い値段の古本が無造作に並べられています。これを手にとってぼんやりと眺めていると、時が経つのを忘れてしまいます。  ある晴れた日の午後、私はこの書店の店先に立って、いつものようにぼんやりと古本を眺めていました。小説もあれば、地図や百科事典なども置いてあります。いくら眺めても飽きることがありません。そうやってどれくらいの時間眺めていたでしょう。日が傾き始めていることに気付いて、私はふと顔を上げました。すると辺りの様子が少々おかしいのです。歩いている人々のファッションが、まず奇妙でした。誰もが古臭い、七十年も前のような恰好《かつこう》をして歩いています。どういうわけだろうと思いながら、隣に立っている男の方をふと見やると、その顔には見覚えがありました。他でもない、若き日のヘミングウェイです。その隣で、哲学書を手に取った男はジョイスにそっくりでした。  どうやら私は立ち読みをしている内に時間を遡《さかのぼ》ってしまったようです。もちろん、しばらく帰る気はありません……。  詩人たちのホテル  情熱の詩人バイロンと、愛の詩人シェリー。二人は同じ時代を生きた英国人で、親友同士だったと言います。  その二人が英国を離れ、一緒に滞在した古いホテルがスイスにあるという話を、文学好きの友人から聞きました。 「星たちは目覚めているだろう、  月は今夜、もうほんのわずかで眠りについてしまうけれど」  シェリーの詩《うた》ったこの一節は、もしかしたらそのホテルで、スイスの夜空を見上げながら作ったものかもしれません。  目を閉じて、思いを馳《は》せると、未《いま》だ見たことのないスイスの夜空が浮かんでくるようです。森の匂《にお》いと、頬《ほお》を切る風。そして満天の星。ホテルのバルコニーに腰かけている、シェリーとバイロンの姿。  その隣に今、私も腰をかけて、二人の会話に耳を澄まします。夜が、ゆっくりと更けていきます……。  ドストエフスキーのペン  ペテルブルグに三日ほど滞在した時のことです。ガイド役の青年と意気投合した私は、毎日夜になるとウォッカを飲みに町中へ出掛けました。その時、彼に連れていってもらった場末のバーで珍しいものを見せてもらったのです。 「これはドストエフスキーのペンだ」  バーの主人がそんなことを言って差し出したのは、一本の古ぼけた万年筆でした。かなりの年代物らしく、キャップを取ってみるとペン先が割れて、ひどい有様です。主人の話によるとその昔、ドストエフスキーがこのバーに立ち寄ってウォッカをしこたま飲み、金が払えずにペンを置いていったという逸話が残っているのだそうです。 「このペンで書けば、誰でも傑作をものにできるんだ」  主人がそんなことを言うので、私はこのペンが欲しくなってしまいました。譲ってくれないかと持ち掛けると、主人は嬉《うれ》しそうに笑い、こう答えました。 「譲ってやってもいい。しかしこのペンを使うと傑作をものにできる代わりに、ひどい飲ん平の博打うちになってしまうぞ。それでもいいかね?」  私はしばらく迷った末に、諦《あきら》めることにしました。非凡な傑作と、平凡な幸福はどうも相容れない関係にあるようです。  ニューヨークという冗談 「ニューヨークのことをよく知りたいのなら、まずウディ・アレンの映画を観ることから始めるべきだ」  旅行好きの友人に、ニューヨークの印象について尋ねたところ、そんな答えが返ってきました。ウディ・アレンは生粋のニューヨーカーで、ニューヨークのいいところも悪いところも知りつくしている。だから、彼の撮る映画は、時にニューヨークという街自体が主人公になっていることもある。そんなふうに友人は説明してくれました。  なかでも一番気に入っているのは、『ウディ・アレンの重罪と軽罪』に出てくる台詞《せりふ》。それは、こんな台詞なのだそうです。 「私はニューヨークが大好きだ。この街は、何千行ものシリアスな台詞が、たった一行のオチを探しているようなものさ」  なるほど。と、私は妙に納得してうなずきました。いかにもニューヨークらしいエピソードです。  ところでその旅行好きな友人は、ニューヨークでたった一行のオチを見つけることができたのでしょうか。それともシリアスな台詞を何千行も呟くだけだったのでしょうか?  スタインベックの谷  カリフォルニア州のほぼ中央に、�サリーナスの谷�と呼ばれる地方があるのを御存知でしょうか。二つの山脈に挟まれた細長い湿地帯で、そこでは主に放牧が行われています。『エデンの東』や『怒りの葡萄《ぶどう》』を書いたジョン・スタインベックのふるさとが、ここサリーナスの谷なのです。  少年の頃に『赤い子馬』という短篇小説を読んで以来、この物語の舞台になった場所を訪れるのは、私の夢のひとつでした。今年の夏ようやくその念願が叶い、私はサリーナスの谷に立ちました。訪れてみるとそこは、スタインベックの小説の中に描かれた通り、緑豊かな放牧地帯でした。  感傷に耽《ふけ》りながらぶらぶらと歩いていると、向こうから子馬を連れた少年が、小走りに駆けてきました。私は何だか嬉しくなってしまい、少年を呼び止めて、その子馬の名前を尋ねてみました。 「ギャビラン、ていう名前だよ」  少年はそう答えるなり、子馬の背に乗って走り出しました。それは、スタインベックの小説に出てくる赤い子馬と同じ名前です。私は、いつのまにか自分が物語の中の登場人物の一人になっていることに気がつきました……。  『砂の本』について 『砂の本』という名の本を御存知ですか?  アルゼンチンの生んだ世界的な作家、ボルヘスがこの本についての短篇小説を残しています。  ある日、主人公の家を訪れたセールスマンは奇妙な聖書を売りつけます。これが、砂の本でした。始まりも、終わりもない本です。一度見たページは二度と見ることができません。最後のページをめくろうとしても、まるで魔法のようにページが湧《わ》いてきて、どうしても読み終えることはできないのです。  はじめの内は面白がっていた主人公も、その内おそろしくなってきて、結局ブエノスアイレスの国立図書館へ行き、本棚の中へそっと紛れ込ませて逃げ帰ってきます。そして、もう二度とあの本は見たくないと呟《つぶや》くところで、話は終わっています。  もしあなたがこれからアルゼンチンへ旅行する予定がおありなら、ぜひブエノスアイレスの国立図書館へ行くことをお勧めします。  運よく『砂の本』を見つけることができたら、私にご一報下さいませんか。  アイス・ナイン  カート・ヴォネガット・ジュニアの長篇小説『猫のゆりかご』をお読みになったことがありますか?  ニューヨーク州イリアムにある金属研究所で、ある高名な科学者が�アイス・ナイン�という不思議な物質を作ってしまうところからお話は始まります。  この物質はひとたび水の中へ入れれば、たちまち水の分子同士を結合させ、凍らせてしまうという代物。つまり海に一滴、アイス・ナインをぽたりと入れれば、世界中の海が凍りついてしまうわけです。科学者の三人の子供は、そんなこととはつゆ知らずにアイス・ナインを与えられ、物語は意外な方向へ展開していきます。  私はこの不思議な長篇小説が大好きで、今度ニューヨークを訪れる際にはイリアムという町へ足を延ばそうと考えています。  もしアイス・ナインが手に入った場合の遣い道もちゃんと決めてあります。動物園へ行って、ペンギンや白熊のいる池の中へ、ぽたりと一滴入れてやるのです。たちまち辺りは凍りついて、ペンギンたちは夏でも快適……。  どうです、いいアイデアだと思いませんか。  アリスにせがまれて 『不思議の国のアリス』の作者ルイス・キャロルが、この世にも不思議な物語の着想を得たのは、同じ大学の先輩であったリデル先生の三人の娘と一緒に、テムズ川でボート遊びをしたことだと言われています。岸に上がり干し草の陰で一休みしている時に、この三人の娘が口を揃《そろ》えて、彼に「お話ししてよ」とせがんだのが直接のきっかけでした。  昨年イギリスを旅した時に、この逸話を思い出した私は、ある晴れた日曜日、テムズ川でボート遊びをしました。ルイス・キャロルを気取って岸に上がり、干し草の陰でサンドイッチを頬張っていると、背後から声をかけられました。 「お話ししてよ」  驚いて振り向くと、そこには『不思議の国のアリス』のさし絵そっくりの少女が三人、にこにこしながら座って、こちらを見ていました。私はどぎまぎして、何か話をしなくてはと考え込みましたが、考えれば考えるほど頭が混乱してしまい、結局一言も告げられないまま、微笑《ほほえ》むばかりでした。  その内、少女たちはつまらなそうに肩をすくめ、どこかへ行ってしまいました。  残念ながら私には作家の才能はないようです……。  バナナフィッシュを探しに  アメリカの作家サリンジャーの書いた『バナナフィッシュ日和《びより》』という短篇小説を御存知ですか?  シーモア・グラスという一風変わった名前の主人公が、フロリダの浜辺で過ごす奇妙なひとときを描いた話です。  彼は、浮き輪につかまった少女とともに海へ飛び込み、沖へ向かって泳ぎながらバナナフィッシュの話をします。バナナがめっぽう好きで、時には七十八本も平らげてしまう胃袋を持った魚のことです。 「しまいにはバナナ熱にかかって、死んでしまうんだ」  と、主人公のシーモアは楽しげに話しますが、少女は信じてくれません。でも、私はこういう他愛もない絵空事が大好きなものですから、つい信じたくなるのです。  だからこの小説を読んで以来、フロリダへ行ってバナナフィッシュを探してみたいと、心のどこかで願っています。  バナナをくわえて海の中を自在に泳ぎ回るというバナナフィッシュ。果たして、見つかるでしょうか。  キリマンジャロの氷の使いみち  キリマンジャロといえば、アフリカ大陸最高峰の雪におおわれた山。ヘミングウェイの小説『キリマンジャロの雪』でもおなじみです。この小説の冒頭には、こんなことが書かれています。 「キリマンジャロの西側の頂上近くに、ひからびて凍りついた一頭の豹《ひよう》の死体が横たわっている。こんな高い所まで豹が何を求めてやってきたのか、誰も説明したものはいない」  さて、この豹の話は本当でしょうか?  どうしても疑問をはらしたいと考えた私の友人が先日アフリカを旅行した際に、わざわざキリマンジャロへ登ったそうなのですが、残念ながら豹の死体は発見できませんでした。  その代わりに、彼が持ち帰ってきたのは、キリマンジャロの万年雪。かちかちに固まった氷の塊です。  普通なら持ち帰ってくる間に溶けてしまうところですが、さすがにキリマンジャロの氷は違います。ポケットへ入れても一向に溶ける気配がありません。まさに歩く冷房というわけで、この夏、私は表へ出る際には必ずこのキリマンジャロの氷を内ポケットに忍ばせている次第です。  夏の暑さにバテ気味のあなたは、ぜひアフリカへ行って、この氷を拾ってくることをお勧めします。  奇の章  天使が通る  例えばパーティなどで、大勢の人たちが会話を交わしている最中に、ふと何の拍子か、全員がいっせいに黙って辺りに沈黙が漂う瞬間。こういう一瞬のことを、海外では、 「おや、天使が通り過ぎたぞ」  と言うのだそうです。  私がギリシアを訪れた時、アテネにある小さな料理屋で、ちょうどそんな瞬間に遭遇したことがあります。それまで声高に喋《しやべ》っていた人たちが、何故かいっせいに沈黙し、お互いに何となく気まずく顔を見合わせたのです。すると同時に、料理屋の天井近くに、ぼんやりと白っぽい煙のようなものが見え、目を凝らすとたちまちそれは天使の形になりました。ギリシア神話に出てくるキューピッドという子供の神様で、伝説通り、ちゃんと手に弓矢を握りしめていました。  料理屋にいた客の全員が唖然《あぜん》として、天井を見上げていると、天使はこちらを見下ろして、柔らかい微笑みを残し、あっという間に消えてしまいました。  人々が沈黙する時、頭上を天使が通るというのは、あながち根拠のない伝説ではないようです……。  金の山羊《やぎ》  モナコの近くにあるエズという村には、とてもユニークなエピソードを持つホテルがあります。その名を「金の山羊」。その地方の伝説となっている金色の山羊を発見した、という初代オーナーにちなんで名づけられたホテルです。  このホテルに宿泊して二日め。部屋のベランダから表を眺めている時に、私はその伝説の金色の山羊を偶然見掛けました。海岸べりの岩場に、まるで銅像のように立ってこちらを見ていたのです。  珍しい色の山羊だなと思ったので、翌日のチェックアウトの時に、そのことをホテルのフロントマンに話してみました。すると彼の顔色が変わり、すぐに支配人を呼びに駈《か》け出していきました。どうしたんだろうと思って待っていると、やがて支配人が血相を変えて飛んできて、 「金色の山羊を見たというのは、本当のことですか?」  と質問してきました。私がうなずくと、彼は私のチェックシートをびりびりと引き裂き、こんなふうに言いました。 「お代は受け取れません。あなたはこのホテルのオーナーになるべき人ですから……」  二億円の定期預金  カメラマンをしている私の友人は、昔からちょっと悪戯《いたずら》好きで変わった男です。海外へロケに行くたびに、あっと驚くような土産物《みやげもの》を持ち帰るのが、彼の趣味なのです。  そんな彼が、スイスのチューリッヒに滞在中、私に国際電話をかけてきました。お互いの近況を知らせ合った後、彼は急にこんなことを言ったのです。 「実はチューリッヒの銀行に、君の名義で預金口座を開いてやったぞ」  私は例によって彼の悪戯だと思ったので、含み笑いとともに「つまりそれがお土産というわけだね」と言いました。すると彼はちょっと怒ったような声で、 「おいおい、もっと喜んでくれてもいいだろう。何しろ日本円にして二億円の定期預金なんだぞ」  そう言っていきなり電話を切ってしまいました。私は少々面食らいましたが、当然冗談だろうと思って、あまり気にも止めずいたのですが、今日になってスイスからの小包みが届いた時点であっと驚きました。中には私名義の預金通帳が入っており、開いてみると、確かに受取額が日本円で二億円になっています。どういうことだろうとあちこちページを開いている内に、ようやく納得がいきました。預金の元金は約一万円だったのですが、受取日が今から六百年後になっていたのです……。  マリアに訊《き》いてくれ  ベルリンの中心にあるブライトシャイト広場。私はここで、石畳の上に巨大な絵を描いている青年に出会いました。その青年はパレットと油性の絵の具を手に、広場の片隅にうずくまるようにして、絵を描いていたのです。近づいて眺めると、どうやら女性の顔を描いているようです。 「マリアの顔だよ」  しばらく隣に佇んで眺めていると、その青年は声をかけてきました。 「描き終わると、消されてしまうんだ。マリアの顔を描くのは、これで五回めだ」  青年はそう言って苦笑をもらしました。 「どうしてキャンバスに描かずに、わざわざ石畳に描くのか」  そう質問してみたところ、青年は肩をすくめて、 「そんなこと、マリアに訊いてくれよ」  と答えました。なるほど言われてみると、そのマリアの顔は、この広場にとても似つかわしいもののように思われました。  やがて消されてしまうマリアの顔。あの青年は、今この瞬間もブライトシャイト広場の片隅にかがみ込んで、絵筆をふるっていることでしょう。そう思うと、私は矢も楯《たて》もたまらず、ドイツを訪れたい衝動にかられてしまうのです。  君がこの次にパリを訪れる時の顔  私がまだ学生だった頃、たった一人でフランスへ渡った時の話です。  パリのバスティーユ広場にいた似顔絵描きの老人に、似顔絵を描いてもらったことがありました。  無口な老人で、私の顔を見るなり強引に自分の前に座らせ、気難しげな表情で筆を走らせ始めたのです。出来上がってみると、その似顔絵はあまり私に似ていませんでした。  その時私はまだ二十歳そこそこの青年だったのに、絵の方は中年の男が描かれていたのです。私が文句を言うと、その老人はにやりと笑って、 「君がこの次にパリを訪れる時の顔だよ」  と静かに答えました。私は不思議な気持でその絵を受け取り、代金を払ってその場を離れました。  あれから二十年。私の顔は、段々その似顔絵の顔に似てきました。つい先日、押入れの奥の方から取り出してみると、驚くほど似ていたのです。  今年、私はもう一度パリへ行ってみようかと考えています。バスティーユ広場の、あの老人の似顔絵描きは、まだ健在でしょうか。出会うことができたら、またこの次にパリを訪れる時の私の顔を描いてもらおうと思っているのですが。  炎を持ち帰る  もしローマへ行く機会があるのなら、知恵の女神ヘラを祀った神殿を訪れてみることをお勧めします。この神殿の中庭は、太陽の光を反射鏡に集めてオリンピックの聖火を灯す場所として知られています。私がこの神殿を訪れたのは、夕方だったので、帰り道は既に薄暗くなっていました。足場の悪い石の階段を下っていくと、その途中で焚火《たきび》をしている男に出くわしました。別に寒いわけでもないのに、何をしているのだろうと思って、ふと覗《のぞ》き込んだところ、彼は人なつっこそうな笑顔を浮かべて、話しかけてきました。 「あんた、オリンポスの消えない炎を知ってるかい?」  私が首を横に振ると、彼は得意げに足元の焚火を示し、これがそうだよ、と片目をつぶってみせました。水をかけても、砂をかけても、どんなことをしても消えないのだそうです。そして彼は代々、この炎を守ってきた家の人間だと言うのです。  そんなはずはないだろうと思って、私は焚火のそばへ寄り、足元の砂を手ですくって振り撒いてみましたが、なるほど炎が弱まる様子はまったくありません。実に不思議です。ぜひ分けてくれないかと彼に頼み、落ちていた木の枝に炎を移してホテルまで戻りました。しかしこれをどうやって日本まで持って帰ったものか、思案に暮れているところです……。  風の生まれる谷  チベットの奥地に�風の谷�と呼ばれる不思議な谷間があることを御存知ですか?  北風、南風、そよ風……とにかく風の名のつくすべての風はこの谷で生まれて、あまねく世界へ吹いていくのだ、という言い伝えがある谷です。もちろん、どこにあるのかはっきりとは分かっていません。  先日、私の物好きな友人が、この谷を探すためにチベットへ旅立っていきました。  出て行く時は意気揚々としたものでしたが、しばらく連絡が途絶えて、私は何となく心配していたのです。  その彼から、つい今さっきのコレクトコールがかかってきました。意外なことに、オーストラリアのケアンズにいると言うではありませんか。私が事情を尋ねると、彼は照れ臭そうにこう答えました。 「チベットで風の谷を見つけたのはいいんだけど、生まれたての強い風にあおられてね、飛び上がってしまったんだ。そのまま風に運ばれて、気がついた時にはオーストラリアにいたんだよ」  彼は困惑げに声を低くし、悪いんだが帰りの飛行機代を送ってくれないか、と付け加えました……。  少年の夢  都内にある小さな画廊へ、友人の個展を見にいったところ、とても懐かしい人物に偶然出会いました。私の小学校時代の担任の先生です。一目見て、私も先生もすぐに相手のことが分かりました。  再会を祝して、我々はそのまま近所のバーへと流れ、グラスを傾けました。遠い少年時代の話に花を咲かせていたところ、先生はこんなことを言いました。 「そういえば君は穴を掘るのが好きな少年だったね」  私にはちっとも覚えがなかったので、きょとんとした顔をしてしまいました。  先生の話によると、少年の私は地面に深い穴を掘って地球の裏側まで行くのだと熱っぽく語ったのだそうです。 「南米に行って、アマゾンを探検してくると君は話していたよ」  私は照れ笑いを漏らし、スコッチをもう一杯注文しました。  すっかり忘れ去っていた遠い少年時代の夢。  遥《はる》かな異国への憧《あこが》れを抱いた小さな私が、琥珀色《こはくいろ》のグラスの向こう側で懸命にスコップをふるう姿がほの見えるようです。  その夜私は、少年の夢にしたたかに酔いしれました。  正確な時間  銀座のバーで知り合ったそのイギリス紳士は、内ポケットから古ぼけた懐中時計を取り出して見せてくれました。それは彼の祖父から父、父から彼へと受け継がれたものだそうです。彼の家は代々貿易商を営んでいて、彼が三代めであるという話です。  彼の祖父という人は取引の時間に生涯一度も遅れたことがない、というのが自慢の人でした。百年以上も正確に時を刻み続けているその懐中時計は、そんな祖父の宝物だったそうです。  時差のある海外の土地でスケジュールをこなしていくのは、並大抵のことではないでしょう。彼の祖父はスケジュールの書き込まれた手帳とその時計だけで、世界中を駆け回りました。そして、いつごろからかその時計を胸にしまっておくだけで、世界中どこにいても正確な時間が分かるようになったのだそうです。  別れ際、来月彼がまた日本へ来るというので、同じ店で再会することを約束しました。  もちろん彼は時間きっかりに現れることでしょう。まだ一月も先のことなのに、私は遅刻するのが心配で、今から何だか緊張気味なのです。  らくだの復讐《ふくしゆう》  らくだという動物は一見|呑気《のんき》そうな顔をしていますが、実はかなり執念深い性格を持っていることを御存知ですか。悪戯をされたり、痛いめにあわされたりすると、そのことをずっと覚えていて、数年後のある日、突然に復讐したりするのだそうです。  チュニジアとアルジェリアの国境近くにあるオアシスの町、エル・ウェッド。砂漠の真ん中にあるこの町で、私はかなりらくだの世話になりました。どこへ行くのもらくだの背にゆられて移動するので、いわば「らくだ酔い」のような症状に苦しむほどです。この町で、らくだの乗り方を教えてくれた青年が、ある時私の目の前でらくだに復讐されるのを目撃しました。まったく唐突に、らくだは青年の腕に噛《か》みついたのです。彼はひどい歯形の残った腕を撫《な》でさすりながら、 「五年前にこいつを笞《むち》で手酷く叩《たた》いたことがあるんだが、今頃になって仕返しされちまった」  そんなことを言いました。私は笑ってその話を聞いていたのですが、その内ふとあることを思い出して、ぞっとしました。実はその前日、私は自分が乗っていたらくだが言うことをきかないので、笞でひどく叩いたのでした。  この一件があって以来、私はアルジェリアを訪れることを避けています。いつどこで、らくだに復讐されるかしれませんから。  天使の飲み分  ロンドンのボンドストリートから南へ五分ほど歩いたところに、小さなパブがあります。この店で私は、お喋り好きな気の好い老人と知り合いになりました。彼はもともと酒蔵で働いていたらしく、その時の話をあれこれと私に話してくれるのです。 「スコッチを樽《たる》に詰めて、しばらく寝かせておくと、いつのまにか量が減ってしまう。何故だか分かるかい?」  と彼は私に尋ねました。私は、アルコールの成分が蒸発してしまうからだろう、と答えました。すると彼は首を振って、 「夢がない答えだね」  そう言いました。彼の話によると、樽の中でいつのまにか減ってしまう分量を�天使の飲み分�と呼んでいるのだそうです。酒蔵の人間が誰もいない時に、天使がそっと現れて二、三杯飲んでいくのだと、言い伝えられているのです。 「ほら、今あんたの肩の所に天使が来たよ」  急にそう言われて、私はふと自分のグラスを見ました。すると注文したばかりのスコッチが半分くらいに減っているではありませんか。驚いて老人を見ると、彼はにやりと笑って、 「天使の飲み分だよ。勘弁してやんな」  と呟《つぶや》きました。  二〇二〇年の賭《かけ》  ブックメーカー、という商売を御存知ですか。  イギリス政府が公認した民間の賭博《とばく》会社のことです。俗にブッキーとも呼ばれていて、スポーツや選挙など、ありとあらゆる出来事を賭の対象としています。  私がイギリスを訪れる折に必ず足を運ぶのは、ウイリアム・ヒルというブックメーカー。この会社は、どんな賭でも受けて立つという潔い態度で有名です。  例えば、クリスマスのヒットチャートや、プレスリーが生きているかどうか、二歳の息子が二十三年以内にウインブルドンのチャンピオンになれるか、などなど。実にユニークな賭が成立しているのです。  今回、私がウイリアム・ヒルに挑んだ賭はこんな内容です。 「二〇二〇年までに私は月面に立つことができるかどうか」  もちろん私自身は立てる方に三百ポンド賭けました。月世界旅行は、私の少年時代からの夢だったのです。  さて、果たして私は賭に勝つことができるかどうか。結果は二〇二〇年まで、お待ち下さい。  何の発明?  ニューヨークで毎年開催される世界発明コンクールのことを御存知ですか? 私も前々から気にかけていたのですが、ようやく今年になって足を運ぶことができました。  コンクールの前夜祭には、世界各国から参加した自称発明マニアが大勢集い、議論をしたり談笑したりします。この前夜祭にもぐりこみ、シャンパンを飲みながら周囲の会話に耳を傾けていたところ、不意に背後から声をかけられました。 「君は何を発明したんだ?」  振り向くとそこには見覚えのない、初老の紳士が立っていました。取材に来ただけですと答えると、その紳士は愉快そうに笑い、 「では私を取材しておくといい、今年のナンバーワンは私に間違いないんだから」  と豪語しました。何を発明したのですかと尋ねると、彼はウインクをして「当ててごらん」と言いました。私は頭を働かせて、考えつく限りの発明品を列挙してみましたが、全然的外れだったようです。初老の紳士は私の耳元に口を寄せ、 「君にだけこっそり見せてあげよう」  そう言って自分の額を親指でぐっと押しました。すると彼の額に亀裂《きれつ》が生じて、頭の中に詰まっている複雑そうな機械がちらりと見えました。私は唖然《あぜん》としました。その紳士自身が、誰かの発明品だったのです。  一人じゃいけないよ  ポルトガル——リスボン。港のそばから続く露店では様々なものが商われています。中でも有名なのは、リスボン名物のマンジョリカの小鉢。爽《さわ》やかなハッカの匂《にお》いを放つマンジョリカは、絶対に鼻で直接匂いを嗅《か》いではいけません。最初、私も知らなかったので、つい顔を近づけて鼻で匂いを嗅ごうとしたところ、露店商の親父にどやされました。 「直接匂いを嗅ぐと、マンジョリカは枯れちまうんだよ!」  露店商の親父はすごい剣幕で言い放ちました。じゃあどうやって匂いを嗅げばいいのかと私が尋ねると、親父は急ににこにこして解説してくれました。 「まず、掌で撫《な》で回す。そうすると掌に匂いが移るからな。それからその掌を恋人と一緒に嗅ぎ合う。ここが大事なんだ。一人で匂いを嗅いじゃいけないよ」 「どうして一人じゃいけないんですか?」  私が突っ込んで尋ねると、露店商の親父はちょっと困惑顔になって考え込み、ずいぶんしばらくしてからこう答えました。 「だって一人じゃつまんないだろう。恋人と二人で嗅いだ方が楽しいに決まってる」  強引な説明ですが、確かにその通りだと納得して、私はマンジョリカの小鉢を買い求めました。  クマにご用心  あるガイドブックによれば、イスタンブールには�置き引き�ならぬ�クマ引き�という泥棒がいるのだそうです。「クマに首輪をつけて街頭を闊歩《かつぽ》し、観光客を襲わせて大金を奪うジプシーがいるので、要注意」と、ガイドブックには記されていました。  まるで冗談のような泥棒ですが、先日私がイスタンブールを訪れた際に街を歩いていると、本当にクマを連れたジプシーと行きかいました。むろん私は用心したので、つけこまれることはなかったのですが、滞在して三日めのこと。広場のベンチに腰掛けて、ぼんやり夕暮れを眺めている時に、やられてしまいました。背後で唸《うな》り声がするので、ふと振り向いてみたところ、鼻息がかかる程の距離に大きなクマがいたのです。咄嗟《とつさ》に私は身構えました。するとそのクマはにやりと笑い、 「ご主人が風邪で寝込んでるんだ。薬を買ってやりたいんだけど、ちょっと用立ててくれないかね」  と話しかけてきました。私は唖然としてしまいましたが、せっかくのクマの申し出を断るわけにもいきません。幾ばくかの金を渡してやると、クマは申し訳なさそうに何度も頭を下げ、その金を持って広場の彼方《かなた》へ消え去ってしまいました。  あなたもイスタンブールへ行ったなら、この喋《しやべ》るクマにご用心下さい。  アインシュタインの帽子  久し振りに私の家を訪れたその友人は、何やら大袈裟《おおげさ》な荷物を持っていました。迎え入れてコーヒーを出し、一息ついたところで、私はその荷物について尋ねました。友人はにやりと笑って、 「先週サザビーズのオークションへ行ってきたんだ」  と答えました。その荷物は、オークションでイギリスの紳士とセリ合った挙句、手に入れたものなのだそうです。中身は何だい、と尋ねると彼はこう答えました。 「アインシュタインの帽子だよ」  箱を開けてみると、なるほど中から古ぼけたソフト帽が出てきました。友人は得意げにその帽子をためつすがめつし、 「これを被《かぶ》ると相対性理論が分かるんじゃないかと思って」  そんなことを言いながら、被ってみせました。しかしこれといった変化はありません。私が「どうだい?」と尋ねると、彼は首を振って答えました。 「だめだね。全然天才になった気分がしないよ」  しかし私は驚いてあとずさってしまいました。何故なら彼は、その答えを流暢《りゆうちよう》なドイツ語で喋ったのです。  ドリームキャッチャー  先日カナダを旅した折に、私は一風変わったお守りを手に入れました。  インディアンたちの間に古くから伝わるもので、革ひもで編まれたその形は、一見したところ蜘蛛《くも》の巣を思わせます。ドリームキャッチャー。インディアンたちはこのお守りをそう呼んでいます。何でもお守りに宿る精霊が、良い夢だけを捕まえて正夢《まさゆめ》にしてくれるという伝説があるらしいのです。  ロッキー山脈の山あいにある小さな街の民芸店でこのお守りを手に入れた私は、シャツのポケットにこれを入れたまま、帰国の途につきました。飛行機に乗り込んで、やれやれと一息ついたところ、私は呆気《あつけ》なく眠り込んでしまいました。そして妙にリアルな夢を見ました。  見知らぬ美しい女性が私の部屋を訪ねてきて、微笑《ほほえ》みながらリボンのかかった小箱を手渡してくれる——そんな夢です。目覚めてから、もしこれが正夢になったら驚きだなと思っていたところ、ふと通路を隔てた隣の席へ目をやると、そこにはたった今夢の中に現れた美しい女性が座っていました。私はしばらく躊躇《ちゆうちよ》しましたが、やがて勇気を出し彼女に声をかけてみました。  果たしてあの夢は正夢になるのでしょうか。結果は、バレンタインデーに明らかになることでしょう……。  果たしてバオバブの樹は  アフリカ旅行から帰った友人が、土産《みやげ》代わりに私に手渡したのは、奇妙な形をした植物の種でした。  いったい何の種なのか質問すると、友人はにやりと笑って、 「バオバブの樹の種だ」  と答えました。バオバブの樹というのは、主に熱帯地方に分布する、かなりの巨木です。サン・テグジュペリが書いた童話『星の王子さま』の中に登場するので、私も名前だけは知っていました。確かあの童話の中では、放っておくと育ちすぎて大変なことになるので、まだ小さな芽の内に掘り起こす必要がある、と説明されていました。  バオバブの樹の種をくれた友人は、私が少々困惑しているのを見て取ると、笑いながら「庭へ蒔《ま》けよ」と勧めました。二十年もして切り倒せば、家が一軒建てられるくらいの木材が手に入る、と冗談半分に言うのです。  私は友人と一緒に庭へ出て、その種を日当たりの良い場所に埋めました。そして、バオバブ製のログハウスに住んでいる自分を想像してみました。  果たしてバオバブの樹は、私の小さな庭で育つのか、どうか……。  ニュートンの林檎《りんご》の樹  万有引力の法則を発見したアイザック・ニュートンが、数学・物理学を専門にしていたことは広く世間に知られていますが、その一方で彼がレンズ磨きの名人であったことはあまり知られていません。  彼は天体望遠鏡に使うレンズの表面を磨くのが、めっぽう上手かったらしいのです。  先日、ニュートンの母校であるケンブリッジ大学を訪れた時、彼が磨いたというレンズを見せてもらうことができました。  ちょうど掌ほどの大きさのレンズで、確かに一点の曇りもなく磨きあげられていました。このレンズを図書館の奥から持って来てくれた教授は、私が感心して溜息《ためいき》をついている様子を見てとると、嬉《うれ》しそうに微笑み、 「そこの窓に近づいて、レンズ越しに庭の木を見てごらんなさい。面白いものが見えますよ」  そんなことを言いました。言われた通りにしてレンズ越しに庭を覗くと、木の根本に佇んでいる一人の男の姿が見えました。彼は赤く熟した林檎を手に、物思いに耽《ふけ》っている様子でした。  驚いてレンズから目をずらして、庭を眺めると、そこには誰もいません。朽ちかけた古い林檎の木が一本、寂しげに立っているばかりです……。  その嘘《うそ》、本当?  ニューヨークの五番街にある高級アパートメントに住む私の友人は、毎年自分の誕生日になると、ちょっと変わったパーティを催します。  名付けてSFXパーティ。  ハリウッドで特殊効果美術の仕事をしている彼ならではの、凝りに凝った仮装パーティです。招待客たちは彼のアパートメントに到着すると、ダミーヘッドを被せられたり、巧妙なメイキャップを施されたりして、怪物に変身し、パーティを楽しむのです。  先日、このパーティに参加した私は、彼の手によってフランケンシュタインに変身しました。鏡を見ると、自分でも怖くなってしまうほどの出来ばえです。  その姿で部屋の中をうろうろしていると、私とまったく同じフランケンシュタインの恰好をしている男に出会いました。私たちは意気投合して酒を酌み交わしたのですが、その内に、どうも彼が本物のフランケンシュタインに思えてきました。そのつもりで室内を見回すと、ドラキュラや半魚人、ミイラ男など、全部が全部本物のようなのです。すると、私が動揺していることに気付いたフランケンシュタインは、こんなことを言って微笑みました。 「ニューヨークは不思議な街だ。本当が嘘になり、嘘が本当になる。それがニューヨークなんだよ」  ゴーギャンが教えてくれる  最後の楽園、タヒチを旅した時のことです。ゴーギャンの絵を集めた小さな美術館を訪ねた折に、私はそこのミュージアムショップで不思議なスケッチブックを手に入れました。一見何の変哲もないスケッチブックなのですが、ここに絵を描けば、自分に絵の才能があるかどうか一目で分かってしまうのです。  ミュージアムショップの店番をしていた青年は、私がそのスケッチブックに興味を示していることを覚ると、人なつっこい笑顔を浮かべて、こう言いました。 「美術館の一番奥の壁に、ゴーギャンの自画像が架かっている。それをそのスケッチブックに模写してみるといい。あんたに絵の才能があるかどうか、ゴーギャンが教えてくれるよ」  ミュージアムショップを後にした私は、彼に言われた通り美術館の一番奥へ進み、ゴーギャンの自画像の前へ陣取りました。ポケットから木炭を取り出し、さっそくスケッチブックにその自画像を模写してみました。二時間ほどかけて、我ながらなかなかの出来に仕上げたところ、スケッチブックの中で気難しげな顔をしていたゴーギャンが、ふっと頬《ほお》を緩めて笑いかけてきたのです。  どうやら私にも少し絵心があることが、これではっきりしたわけです……。  行方不明の一枚  ベルギーのバフォン寺院に飾られている、ヴァン・アイク兄弟の名画を御存知でしょうか? タイトルを「フランダースの宝」といって、本来十二枚で一組の作品です。  しかしこの十二枚の作品は、一七九四年にフランス軍によって奪われたのを皮切りに、略奪や盗難が相次ぎ、一堂に会したことがほとんどないのです。現在もなお、盗難にあった一枚が行方不明のまま。十一枚しか飾られていません。  ところが、私がこの寺院を訪れた時。一枚ずつ鑑賞していった名画は、全部で十二枚|揃《そろ》っていました。何度数えてみても、十二枚あるのです。不思議に思ったので、展示室を出て、寺院の入口に座っている警備員に尋ねたところ、彼は微笑んでこう答えました。 「それは幸運なことだ。あなたには神のご加護がありますよ」  そう言われても納得がいかなかったので、もう一度展示室へ戻ってみると、今度は十一枚しか私の目には見えませんでした。  行方不明の、十二枚めの絵画。  それがどんな絵だったのか、はっきりと記憶できなかったのが、何とも残念です……。  卵の中身  ワシントンのスミソニアン博物館は、私の大好きな場所のひとつです。  つい先日もワシントンを訪れた折に、この巨大な博物館へと足を運んできました。一日かけて館内を見学して、帰りがけに私は、スーブニールショップでちょっと変わった買物をしました。  それは恐竜の卵の複製で、大きさは人の頭ほどもあります。前々から欲しかったのですが、少々大きいので二の足を踏んでいたものです。私はそれをダンボール箱に入れてもらってホテルへ戻り、フロントマンに無理を言って航空便で日本の自宅へ送ってもらうよう手配しました。  その翌週。日本へ帰国すると、私よりも先にその航空便が自宅に配送されていました。  ところが、手にしてみるとやけに軽いのです。不審に思って箱をひっくり返してみると、底に大きな穴が開いています。驚いて蓋《ふた》を開けてみたところ、中には粉々に砕けた卵の破片が散っていました。複製のはずなのに、卵の中から何か生まれたようです。  私は唖然《あぜん》としてしばらく箱の中をぼんやり見つめたままでいました。  もしあなたが東京で恐竜らしきものを見掛けたら、ぜひご一報下さい。それはきっと私がスミソニアン博物館で買った恐竜ですから。  ねずみ色の鳩《はと》  金曜日の午後。予定が早く済んでしまったので、私はマジソンスクエアからセントラルパークまで、ぶらぶらと一人で歩いて行きました。よく晴れた、散歩|日和《びより》の午後です。  公園について、ベンチに腰を下ろしていたら、一人の男が隣へやってきました。薄いねずみ色のコートを着た、風采《ふうさい》のあがらない男です。彼は隣へ腰を下ろすなり、十ドル出す気はないか、と話しかけてきました。私が今まで見たことも聞いたこともない素晴らしいショーを見せる、と言うのです。  あまり期待はしませんでしたが、彼の朴訥《ぼくとつ》とした喋《しやべ》り方には好感がもてたので、私は十ドルを払うことにしました。彼は私から受け取った十ドルを口にくわえると、 「一度しかできないからよく見てろよ」  と言うなり、とんぼ返りをして見せました。そのとたん、彼の姿は消え失せ、そこに一羽の鳩が現れました。嘴《くちばし》に十ドル紙幣をくわえています。私が呆気《あつけ》にとられていると、鳩はそのまま大空高く舞い上がって、消えてしまいました。  十ドル紙幣をくわえた、ねずみ色の鳩。もしあなたがセントラルパークへ行く機会があるなら、探してみて下さい。  ハリウッドの靴屋  その靴屋はハリウッドのサードストリートにあります。  名前はディ・ファブリッツオといいます。扉を開けて中へ入ると、まず目に飛び込んでくるのは、床から天井までぎっしり積み上げられた靴の木型を入れた紙箱。しかもそのひとつひとつには、ジャック・ニコルソン、マドンナ、ミッキー・ローク、リチャード・ギア……今をときめくハリウッドスターたちの名前が書かれています。  これらの紙箱を前にして私が溜息《ためいき》をついていると、店の主人が奥から現れて、こんなことを言いました。 「私の作る靴は、どうも幸運を呼ぶらしい。これを履いた人はみんな何故かアカデミー賞を取るんだよ」  今、ディ・ファブリッツオの天井近くには私の名が記された紙箱が置いてあります。  明日から私は、ハリウッドにある演劇学校の短期集中コースというのに入門するつもりなのですが、果たしてアカデミー賞を取れるほどの俳優になれるでしょうか。  靴だけはジャック・ニコルソンにも負けないほど、ぴかぴかなのですが……。  金曜日には船出をするな  金曜日の夕方。私はシチリアの港町を散歩していました。港には人影は少なく、一人堤防に腰掛けていると、どこからともなく現れた女性が私に声をかけてきました。 「金曜日には船出をするな、という諺《ことわざ》を御存知?」  彼女はそんなことを言いました。私はその諺は知らないけど、キリスト教社会では金曜日がしばしば禁忌の日とされていることは知っていたので、そのことを答えると、彼女は少し寂しそうに微笑んでから踵《きびす》を返し、そのまま歩き去ってしまいました。  その時、私はかつてローマ帝国の時代には金曜日は愛と美を讃《たた》える日であった、ということを思い出しました。イタリア語で金曜日は、愛の女神ビーナスの日、という意味なのです。  それを付け加えようと思って彼女の方を見ると、そこにはもう誰の姿もなく、ただ一輪の白い花が落ちているだけでした。  彼女はひょっとしたらビーナスの化身だったのでしょうか? すると私はビーナスとデートをするチャンスを逃したということになります。確かめるすべもないまま、折から吹いてきた風がその白い花を波間へと運び、二千年前と変わらぬ地中海の群青色が、それを呑《の》み込んでしまいました……。  蟹《かに》たちのレース  フィジーにあるホテル・フィジアンでは、毎週水曜日と金曜日に「クラブ・レース」と呼ばれるレースが行われています。これはクラブ、つまり蟹による競争で、ホテルの宿泊客たちが、夕食後のひとときを楽しむために行われているギャンブルです。  私も嫌いな方ではないので、滞在中はほとんど毎晩、このゲームに参加しました。儲《か》けることよりも、純粋に勝ち負けが問題なのです。贔屓《ひいき》にしている蟹が勝つと、まるで自分が走り勝ったかのような嬉《うれ》しさです。  そんなある夜のこと。私は夢をみました。  フルマラソンに参加して、他の選手たちと競り合う夢です。スタジアムを出て、舗装道路を走っていくと、沿道には沢山の観戦者が群れていて、小旗を振っています。ところがそれは人間ではなく、蟹が私たちランナーを応援しているのです。蟹たちは思い思いのランナーに、金を賭けているのでしょう。 「これは負けられない。私に賭けてくれた蟹に、一儲《ひともう》けさせてやらなくては」  と私は勢い込んでピッチを上げました。そして折り返し地点を回ったところで目が覚めてしまい、私はベッドの上で舌打ちをもらしました。  蟹たちに応援されて走った夢のレース。私は勝ったのでしょうか、それとも負けたのでしょうか……。  巨大トンボ来訪  その友人は昔から博物館が好きで、海外を旅行するたびに、一風変わった土産物《みやげもの》を買ってきてくれます。  スミソニアン博物館を訪れた時に買ってきてくれたのは、大昔のトンボの羽の化石でした。  トンボといっても、羽の一部だけで私の掌程もある、巨大なものです。あまり大きいので、貰った瞬間ちょっと困惑しましたが、無下《むげ》に突き返すこともできずに、私は礼を言って受け取りました。  その夜のことです。  真夜中を過ぎて、そろそろベッドへ入ろうかと思った頃、窓の外で何やら大きな物音がしました。何だろうと思って窓を開けると、そこには私の身長と同じくらいの巨大なトンボが飛んでいました。しかもよくよく眺めると、左側の羽の一部が欠けています。  トンボは私に向かってウインクをして見せ、羽を返してくれと無言の内に伝えてきました。  仕方なく友人に貰ったばかりの化石を放ってやると、空中でそれをくわえ、どこかへ飛び去ってしまいました。  闇《やみ》の中に、まるでヘリコプターのような羽音がゆっくりと遠ざかっていきます……。  頭だけの旅  日曜日。  私は行きつけの床屋を訪れました。扉を押して中へ入り、馴染《なじ》みの店主に挨拶《あいさつ》をして、散髪台に腰掛けます。 「先週はお休みでしたね」  と話しかけると、店主は嬉しそうな声で、 「ええ、ちょっと海外旅行をしていたものですから」  と答えました。ニューヨークへ一週間ほど行っていたのだそうです。ああ、それはいいと私は答え、 「何か収穫はありましたか?」  と尋ねてみました。すると鏡の中で、店主は軽く微笑《ほほえ》み、ニューヨークカットという髪型を覚えてきましたよと答えました。新し物好きの私は、じゃあそれを頼みますと言ってさっそく試してもらいました。  三十分後、床屋を出た私は、ニューヨーカーのような足取りで、軽やかに街を闊歩《かつぽ》しました。  まるで、頭だけニューヨークへ旅行したような気分でした……。  週に二日の理由  リオデジャネイロへ行くのなら、一度はフェジョアーダという料理を食べてみることをお勧めします。  黒豆をはじめ牛骨、耳、鼻、尻尾《しつぽ》、足などを大鍋に放り込んでグツグツと煮込んだ田舎料理です。材料を聞くとちょっとウンザリしてしまう人もいるかもしれませんが、その匂《にお》いは実に芳《こう》ばしく、食欲をそそります。ただしリオデジャネイロのレストランでは、このフェジョアーダを出す日は週に二日と相場が決まっています。大抵は水曜日と土曜日。  初めてこの地を訪れ、フェジョアーダに舌鼓をうった時、私は何故この美味《おい》しい料理を週に二日しか出さないのか、おおいに疑問を覚えました。そこで店のウエイターにその質問をしてみたところ、彼は意味深な微笑みを浮かべながら、 「あとで分かるよ」  と答えました。私は狐《きつね》につままれたような気分でしたが、なるほどホテルに戻り、深夜になってから彼の言葉の意味が分かりました。目が冴《さ》えて、力が体じゅうに漲《みなぎ》り、どうしても眠ることができないのです。後で分かったことですが、フェジョアーダは精力料理として有名なのだそうです。  一週間、毎日食べたりしたら精がつきすぎて困るので、週に二日しか食べてはいけないのです……。  赤ら顔のダ・ヴィンチ  もう十年も前のことになるでしょうか。  イタリアを旅行した友人から、珍しいワインをお土産に貰《もら》ったことがあります。ワインの名前は「レオナルド」。レオナルド・ダ・ヴィンチが所有していたと言われるロンバルディア地方の葡萄畑《ぶどうばたけ》から採れたワインで、味の方もその名に相応《ふさわ》しく天才的である。その友人はそんなふうに講釈しながら、私にワインを手渡してくれました。手に取って見ると、なるほどラベルにダ・ヴィンチの顔が描かれています。すぐに飲んでしまうのはもったいないと思って、私はこのワインを物置の奥深くへとしまい込みました。特別の日に開けよう。そう思ったのですが、その特別な日がなかなか訪れないまま、十年も経ってしまいました。  この「レオナルド」と再会したのは、先週の日曜日。久し振りに物置を整理しようと、中を掻《か》き回していた時です。取り出して、眺めてみると、不思議なことに中のワインが減っています。まだ封も切っていないはずなのに……。  不審に思いながらふとラベルを見ると、ダ・ヴィンチの顔が以前に比べて赤ら顔になっていました。私は思わず、 「ずいぶん飲みましたね」  とラベルに向かって呟《つぶや》きました。赤ら顔のダ・ヴィンチがかすかに微笑んだように思えたのは、私の気のせいでしょうか。  「Day of death」  メキシコには「Day of death」つまり「死の日」というたいへん変わった祝日があるのを御存知ですか。メキシコ版ハロウィンといった感じで、子供も大人もガイコツのお面を被り、歌やダンスを披露して死者の魂を慰めるのだそうです。  私がメキシコに着いたのは、ちょうど「死の日」の前夜祭が始まろうとする夕暮れでした。  人々は思い思いのガイコツを身につけ、レストランやカフェにも色とりどりのガイコツが飾られ、さながら街は祝日の訪れを喜ぶガイコツ一色でした。  とりあえず食事でもしようと、賑《にぎ》わうメインストリートを歩いて行ったところ、ドクロのマークに本場メキシコ料理と記された看板が私の目に飛び込んできました。  店に通じる階段を地下へと下りていくと、レストランの中はやはりガイコツ一色。酒を酌《く》み交わし、大騒ぎをしています。  ずいぶん楽しそうにやっているな、と思いながら席につこうとすると、ウエイターがやってきて、申し訳なさそうにこう言いました。 「生憎《あいにく》ですが、本日当店はお亡くなりになった方だけの貸切りになっておりますので、存命中のお客さまはご遠慮願っております」  跋《ばつ》(エピローグ)  長い、長い旅から帰国して、自分の部屋へ戻る。  鍵《かぎ》を開け、やや重くなったトランクを降ろし、久しぶりの自分のベッドに横になる。そして目を閉じる。  脳裏には、旅の余韻《よいん》がわだかまっている。  果たして、これで私の旅は終わったのでしょうか?  一つの旅の終わりは、もう一つの旅の始まりを予感させる。一晩眠ったら、明日また私は旅に出かけるかもしれない。いや、それ以前に、目を閉じたその瞬間から、私の新しい旅は始まっているのかもしれない。眠ること、そして夢を見ること——それ自体が私にとっては新しい旅の始まり。夢は、現実ではない架空の旅。  部屋から出る必要はないのです。貴方自身の旅は、貴方の心の中で始まっているはず。  さあ、本を閉じて下さい。その瞬間から、貴方だけの、ありえない旅が始まるのです。  ボンボヤージュ——好い旅を。  一冊の本を読み終えることは、一つの旅の終わりを意味しています。同時に、新たな旅の始まりをも意味しています。できるだけ遠く、遥《はる》かな場所へ。そしてその旅先で、貴方にしか体験できない不思議を味わってきて下さい。今度は、貴方がそれを私に語って聞かせてくれる番です。  この世にもない世界が、貴方の心の中に存在しているはず——その不思議を、私に教えて下さい。さあ本を閉じて、目を閉じて、そこから貴方だけの旅を始めて下さい……。  TOKYO FMの「ジェット・ストリーム」で'91〜'92年にかけて、金曜深夜に「ミッドナイト・オデッセイ」として放送されていたものを小説にまとめました。 角川文庫『旅の短篇集 春夏』平成12年2月25日初版発行